google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 中国映画おすすめ100選への道: 5月 2017

2017年5月22日月曜日

失われつつある中国の浅草=胡同の人情「胡同の理髪師」

胡同の理髪師

映画の紹介
 オリンピックで賑わう北京に出来た“北京の壁”の向こう側に隠され、ひっそりと佇む古き良き下町、胡同(フートン)。
 しかし、近代から取り残された古い街並み。その一角に入ると、入り組んだ路地、狭くて一見暮らしにくそうな軒が犇めき合う。
 それでも、貧民靴にも迷い込んだような恐ろしさやおどろおどろしさはない。不思議な街だ。
 胡同に暮らして九十余年、チンお爺さんの静かな立振る舞いが心にあたたかな余韻をのこしていく・・・。

★北京オリンピックで近代化が進む北京の中で、昔ながらの街並みと人の優しさを持ち続ける街、胡同(フートン)。
オリンピックマラソンの経路にもなったが、その街並みは“北京の壁”と呼ばれる巨大な壁で仕切られている。


映画データ
チンお爺さん チン・クイ(現役の理髪師)
チャン老人 チャン・ヤオシン
チャオ老人 ワン・ホンタオ ミー老人 ワン・シャン

監督: ハスチョロー(漢字名=哈斯朝魯)1966年生まれ

学歴:内モンゴル大学〔1989年〕卒
経歴:中国生まれのモンゴル族。1989年内モンゴル大学卒業後、内モンゴル映画製作所に入所。
多くのテレビシリーズを手掛け、「事与願達」「転龍湾」などの作品で国内の賞を受賞。2000年「草原の女」で長編劇映画監督デビュー。
原題:剃頭匠/THE OLD BARBER. 製作年度, 2006年
製作:北京教典人文化伝媒有限公司


ストーリー
◇中国・北京の旧城内を中心にある胡同(フートン)。その細い路地には、伝統的な建築様式で作られた庶民の古い家屋が立ち並ぶ。
主人公・チンさんはそんな街並みに暮らす。彼は、朝6時に起き、毎日5分遅れる古いゼンマイ時計を直し、銀髪に櫛をいれ、身だしなみを整える事から始まる。三輪自転車で顧客の家を訪問し散髪したり、マージャンを楽しみながら世間話をし、決まって夜9時には床に就く。こつこつと働き続けて81年。その静かな存在感が私たちの胸を打つ・・・
「豊かに生きること」の意味を私たちに問いかける。


背景と見どころ
どこの国や街にもある再開発の波に飲み込まれる古きよき街並み。たまに訪れる人や観光客は、ある種の郷愁を覚える。登場人物は、中国の近代化の歴史の変貌をずーと眺めてきた老人。かれは色々の政治家や軍人、有名人の頭をずーと刈り続けて80余年。カメラを穏やかにまわして、その表面上はあまり変化のない雰囲気を穏やかに薫り高く私達に語りかける。すばらしい、味のある映画だ。


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2017年5月21日日曜日

胡同の街の中で時代の波に翻弄される父と子の葛藤を描く「胡同のひまわり」

胡同のひまわり

映画の紹介

 オリンピック開催を控え、近代化のために消えていく北京の伝統的な街並み“胡同”を舞台に、そこで生きる画家親子の愛と葛藤の感動作品。2005年サン・セバスチャン国際映画祭 最優秀監督賞&最優秀撮影賞をW受賞!

映画データ
出演: スン・ハイイン, アン・チェン, チャン・ファン, ガオ・グー, ワン・ハイディ
監督: チャン・ヤン (張楊、1967年 - )

中国北京出身の映画監督。父の張華勳もアクション映画を手がけた映画監督。
少年時代を胡同で過ごした体験は後の彼の作品作りに影響を及ぼしている。
中山大学中文科、中央戯劇学院監督科で学ぶ。
第6世代の監督のひとりとして一躍注目を浴びる。
言語: 中国語, 日本語
字幕: 日本語


ストーリー
 強制労働から帰ってきた父親は、文化大革命に翻弄された自分と世間が何か大きく変わろうとしてるのを感じているが、未だ自分の立ち居地がつかめない。そして自分の息子に対しても、息子の持つ才能を認めるがゆえに自分の同じようになって欲しくない。それだけに息子に厳しく当たる。一種の苛立ちが垣間見える。息子は父親の押し付けに反発をし自分の才能を憎みながら反発して離れるところまでは出来ない。そうするうちに息子にも恋人が出来、街の改造工事が進行し、人々は引き離されていく。父親は息子の恋人に対して・・・。


背景と見どころ
 主人公の子供のころの有様が自分の子供のころのそれと余りによく似ているので驚いた。自分の子供のころ自転車のリムを転がして遊ぶ「輪ころがし」、馬乗り、ビン玉(我々はこう呼んでいた)、パン(カードの取り合い)、そしておんなの子達のゴム遊び、ままごとすべてが同じだ。さらに大人たちが炊事や洗濯をする周りで、子供たちがうるさいほど走り回っていた。映像を見ていて、ああ、日本にもこんな風景があったのだなあと懐かしく思い出された。
 北京オリンピックに合わせて、北京では家々の立替が進み、古い胡同の町並みが壊され、見栄えのいい町並みに作られていったという。同時に北京の暖かいよき下町風景も消え去り、近代的な装いに変貌したという。日本でも、オリンピック、万博などのたびに同じことが繰り返されてきた。
 自分も1997年ごろ商用で訪れた時と2006年頃たずねた時のその変貌ぶりに度肝を抜かれた気になったのを覚えている。一つのコミュニティーが消えてなくなる様は日本も中国も全く同じではないだろうか。これもこの映画の見所の一つだと思う。
 もう一つは、映画に描かれた父親像は、多かれ少なかれこの時代の父親像を代表しているのではないだろうか。自分の父親と自分自身と映画の主人公と父親が余りに似通っているので驚いた。最も係り方という点では、自分と父親の係り方は映画の中のほうが濃厚であるが、気質的には非常に似たものをもっているように思う。こうした点からも日本人と中国人は切っても切れない縁を持っているように思う。


特記事項
 映画の中に出てくる、主人公や家族が住む住居の建築様式は、京都の町屋のように見えるが、これは「四合院」といって、真ん中に少し広いスペースがあり、そのスペースの4方を囲った4軒の家々で共同で使うものだ。この建築様式はかなり古いもので、周の時代には既にあったとされている。北京の胡同にはこの「四合院」の様式の建屋が北京オリンピックごろまでは多く見られた。因みに魯迅も胡同の四合院の家に弟達と一緒に住んでいたとのことである。
この四合院に関する記述は部分的なもので、加筆が必要と感じています。乞うご期待!

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2017年5月20日土曜日

心にしみる映画「千年の祈り」

千年の祈り

映画の紹介
 世の中の嘘には二つの型がある。人を騙そうという嘘と人を傷つけまいという嘘である。
 長く深い祈りの末、私たちは出会った― 『スモーク』の名匠ウェイン・ワンの新作は、人と人との絆を描いた感動の物語。
 長年離れて暮らしてきた父と娘。全く異なる世界観を持ち、全く異なる価値観の支配する国にやってきて、二人はお互い理解し得ないことに戸惑う。しかし、互いを思いやるための嘘を脱ぎ捨て、互いに自分をさらけ出し話し合ううち、価値観を超えた、或いは価値観の底に流れるものを感じたとき・・・。心温まる感動が待っていた。


映画データ
出演: ヘンリー・オー, フェイ・ユー
監督: ウェイン・ワン(王颖:1949年1月12日 香港 生まれ)
 1995年の『スモーク』でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、
 2007年の『千年の祈り』でサン・セバスティアン国際映画祭金貝賞(最高賞グランプリ)を受賞している。


ストーリー
 ある日突然、父はやってきた。離れてしまった心と心を結ぶため、遠路はるばる海を越えて─。
 妻に先立たれ、北京で一人暮らす父。夫と別れ、アメリカで一人暮らしを送る娘。娘の行く末を案じて父がはるばる北京から訪ねてきた。
 12年ぶりの再会を果たした父と娘は互いへの思いやりを持ちながらもどこかぎこちなく、食卓に流れるのは沈黙ばかり。
 自慢の手料理を作り、毎晩仕事で帰りの遅い娘を待つ父は、やがて近隣に住むイラン人のマダムと知り合い、言葉が通じないにもかかわらず、次第に心を通わせていく。
 そしてある日、ふとしたことから娘は父に積年の思いをぶつけると、父もまた、人生の最後に“本当のこと”を打ち明けるのだった…。


背景と見どころ
 監督が、「映画の中の主人公のセリフで、『共産主義が悪いんじゃなく、それが悪い人々の手に渡ったからだ』という部分を制作会社から削れと要求されたが応じなかったから、投資を受けられなかった」という話をしていたと報じられていた。監督の、芯の強さと背筋が通った姿勢はすばらしいものと想う。
 しかしこの主人公の言葉の半分はその通りだと思う。前半はそのとおりだと思うが、後半は少し納得しかねる。例えばダイナマイトだってそうだ。ダイナマイトに善悪があるわけではない。そいて、 「悪い人に渡ったから・・」の言葉の中の悪い人とはいったい何なのか。
 共産主義は未だに西側の人間にとって悪魔の思想というように捉えられ疎まれているが、その中身を真摯に学び取ろうとせず、ただひたすら嫌悪して知ろうとしない人々も悪い人々ではないだろうか。(ここで私が言いたいのは、結局良し悪しの問題ではないのだということだ。)
 中国の当局も西側の人間もその言葉をかみしめる時期に来ているのではないかと思う。
 そして千年かかるはずの父と娘の分かり合いは、父と娘のほんの僅かな会話で溶けて行きます。どんなに体制が違えども、どんなに価値観が違えども、それを超越するものを人々は持っているのだという想いを静に心に滲み亙らせてくれたところが、この映画の最もすばらしいところだったと思います。
 最後に色々の人がこの映画にコメントをしています。本当に色々の考え方があるのだと良く分かりました。このようなコミュニケーションが、この殺伐とした世の中を救うのかもしれません。ありがとう!



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2017年5月18日木曜日

心温まる中国映画「至福のとき」・・チャン・イーモウ監督が贈る“しあわせの三部作”

至福のとき

映画の紹介
 チャン・イーモウ監督が贈る“しあわせの三部作”最終章。中国の近代都市・大連。見合いで出会った中年の失業者・チャオと盲目の少女、ウー・インは親子のような絆で結ばれていくが…。

映画データ
  • 主演:チャオ・ベンシャン, ドン・ジエ, フー・ピアオ, リー・シュエチエン, ニウ・ベン
  • 監督: 監督: チャン・イーモウ
ストーリー
 中国の近代都市・大連。ある日、盲目の少女ウー・インの継母は、“至福旅館”の経営者を名乗る男チャオと見合いをした。実は彼は工場をリストラされた失業者。何とか見合いを成功させようと大見栄を張ってしまった。継母はウー・インを按摩師として働かせるよう願い出た。チャオは継母に冷遇されている彼女に同情し、廃工場に按摩室を急造する。彼は仲間に、旅館の客のフリをするなどの芝居を打ってもらい、ウー・インに稼がせる。そして、彼女も次第に生きる希望を取り戻していき、チャオとも親子のような間柄になっていくのだが……。

背景と見どころ
 これを見たのは、数年前のことだったが、今でも思い出す度に、じわっと自分の周りが暖かい空気に包まれているように気分になる。下町の叔父さんおばさんに囲まれているような気分になる。見ていて勇気がわくとか、元気が出るという気分ではないが、ぬるめの湯に浸かってリラックスさせてくれる映画だった。、


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2017年5月17日水曜日

実際にあった誘拐事件をモデルに!「最愛の子」は新しい視点を社会に問う

最愛の子

誘拐を被害者、加害者という視点だけで捉えず、生みの親、育ての親という視点でも捉え世に問うた何度でも見たいおすすめの中国映画だ。これは中国で実際にあった事件を作品にしたものだけに、社会性を持った映画。

映画の紹介
 ヴェネチア、トロント国際映画祭正式出品作品。
 巨匠ピーター・チャン監督&ヴィッキー・チャオ主演
 中国で実際に起こった誘拐事件を基に、親たちの至上の愛を描くヒューマン・ミステリー。


映画データ
  • 出演: ヴィッキー・チャオ(趙薇、1976年3月12日 レッドクリフでは孫権の妹の孫尚香役)
    トン・ダーウェイ(佟 大為 レッドクリフでは曹操軍の兵士の役で偵察に入り込んだ孫尚香を助ける)
    ハオ・レイ(郝 蕾「天安門、恋人たち」で主役)
    チャン・イー, キティ・チャン
  • 監督: ピーター・チャン(陳可辛) 『愛という名のもとに』、『君さえいれば/金枝玉葉』『ラヴソング』など現代人の愛情を題材にした作品を数多く生み出している。
  • 言語: 中国語 字幕: 日本語
ストーリー
中国・深センの街なかで、ある日突然姿を消した3歳の息子ポンポン。両親は必死で息子を捜すが、その消息はつかめない。罪の 意識と後悔に苛まれながら、かすかな希望を胸に捜し続けて3年後、両親は遠く離れた農村に暮らす息子を見つけ出す。だが、6 歳になった彼は実の親を覚えておらず、“最愛の母"との別れを嘆き悲しむのだった。そして、育ての親である誘拐犯の妻もまた、子を奪われた母として、我が子を捜しに深センへと向かう。再びその胸に抱きしめることを願って―。

背景と見どころ
 「誘拐」事件が起こるたびに、マスコミやメディアでは「卑怯」という言葉を投げつけてきたし、自分もそう思ってきた。少なくともこの映画を見るまでは。しかし、この「卑怯」という言葉は、何かの行為の為され方を表しているに過ぎない。「誘拐」は、考えていたよりもはるかに由々しい事態と結果をうみ、それは子供が親に無事返されたとしても、その親もそして何よりも子供にとって、取り返しのつかないものを生むのだということを教えてくれた。
 この映画では、誘拐された子供を持つ親の苦しみ、取り返そうとする運動、当局の限界などが明らかになる。しかし最後の決め手は決して諦めない親の執念が、不可能を可能にしていく。だが、それでも不可能のまま人生を終わる人だっているだろう。
 また映画では、誘拐された子供をもつ親の弱みに付け込むうぞうむぞうの輩たち。その親からも金をむしりとろうとする輩達。彼らこそ正真正銘の「卑怯者」だろう。実際には、人身売買、臓器移植、性犯罪などおぞましい犯罪がこの誘拐に繋がっていることだってあるだろう。
 一日も早く子供たちだけでも安全にすごせる世の中になって欲しい。全ての人に見て欲しい映画だ。本当に切ない映画



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2017年5月15日月曜日

中国百科映画館 「中国映画界の誕生」

怒涛のような中国映画界の勢い

アメリカに先んじていた中国の映画界

映画の誕生
 この世の中に映画が誕生したのは、1893年、アメリカでトマス・エジソンが最初の「キネトスコープ」を発表した時に始まったと思われているが、これは箱を覗くとそこに動く映像が見えるという覗き穴式だったため、現在の映画の直接的な起源とは考えられていない。直接の映画の起源は1895年にフランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」である。
1910年代半ばになって漸く、映画会社が作られ始め、本格的な映画の撮影が始まったのは1920年代に入ってからになる。
 アメリカではビジネスの環境は整っていたのであろうが、発明者のエジソンが特許を独占したため、正常な映画産業の育成に大きな遅れをとってしまったという。

時代の最先端をいっていた中国映画界
 1895年にフランスのリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」の発明から、わずか1年後の1896年8月11日、上海徐園で最初の「映画」が上映されたと言われているが、詳細は分かっていない。中国最初の映画撮影は戯曲だった。  1905年夏に名優谭鑫培が黄忠を演じる京劇「定軍山」の1段を3日かけて北京の豊泰写真館の劉仲倫が撮った。
 そして1923-25年には、全国で175の映画会社が設立された。そのうち141社は上海にあったという猛烈な成長ぶりであった。これは、上海が第一次世界大戦を受けて、世界金融センターとしての立場を確立していたことにもよるが、中国が色々な意味で世界に遅れをとっていたことに対する、一種の民族意識の高揚があったのではなかろうか.

 
 それにしても上海は、将に時代の最先端をいっていたのだろう。

詳しい説明は 【中国映画の黎明】 ☜  をクリックしてください。
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2017年5月12日金曜日

中国版の「人形の家」 「小さな中国のお針子」

小さな中国のお針子

 この映画の背景には文化大革命がある。文化大革命は非常に多くの犠牲を生んだ一大権力闘争であった。その弊害は計り知れないものがあり、今でも中国の人々のこころの中にトラウマとして暗い影を残しているので、軽々しく論評できるものではないが、この「革命」が、遅れていた中国社会を暴力的にかき回し、旧態依然とした人々の価値観を捉えなおすきっかけになったことは事実だろう。この歴史的評価は中国人自身でしっかりと為されるべきものと考える。

映画情報
  • 出演: ジョウ・シュン, チュン・コン, リィウ・イエ 
  • 監督: ダイ・シージエ(戴思杰)
  • 言語: 北京語
  • 原作: 戴監督の自著『バルザックと小さな中国のお針子』(早川書房刊)
  • 字幕: 日本語
  • 時間: 110 分
監督のプロフィール
 中華人民共和国福建省生まれ。10代後半からの数年間、下放された四川省の山村で過ごす。1984年に政府給費留学生として、パリ映画高等学院に入学。以降、フランスに在住。フランス語で原作を書いた『バルザックと小さな中国のお針子』で作家デビューし、フランスで40万部のベストセラーとなった。また、この作品で多くの賞を受賞し、世界30ヶ国で翻訳された。
 第6世代の映画監督といわれる。


あらすじ
 文化大革命真っただ中の1971年に四川省の鳳凰山という山中の村に下放された17才のマー(リィウ・イエ)と18才のルオ(チュン・コン)は、2人とも医師の息子のエリート。1番近い町まで、石段を歩いて丸2日もかかる辺境の美しい山の奥の村だ。それまでの都会育ちで比較的自由な学生生活を送っていた二人の青年が、ある日突然文化果てる山奥に放り込まれて、非文化的な村人と生活を共にするようになる。
 二人の青年は、それでも村人達との接触の中で、村人に影響を与え、又彼らもその非文化的な生活の中から、人間性を取り戻していく。
 やがて二人は美しい村のお針子の娘をそれぞれの愛し方で愛する。ここでは二人は未だ中国の青年の無垢で純粋さを失ってはなく、その女を見捨てるようなことはしない。
 しかし、一度自分自身に目覚めたそのお針子は、自らの意思で都会の荒波に打って出る決意をする。


この作品をどう見るか
ネットでは以下のような色々の感想が寄せられています。
  • しかしあの時代、扉の向こうに行くことの代償はあまりにも大きい。
  • 外から文革を描いた多くの映画とは異なり、自由主義を標榜して体制批判をしているわけではない。むしろ、当時の文革の理不尽さを描きつつも、中国山村の人々の独特の暖かさも伝わってくるのだ。
  • フランスに移住した監督=原作者ということで、多少西洋かぶれな視点と言われればそれまでですが・・、
  • モーツアルトの作品を「毛沢東同志にささげる歌」、デュマ「モンテ・クリスト伯」を「レーニンの航海」などとして弁解するあたり、文革の運動への冷ややかな視線と、飽くなき知識への渇望を象徴するようなシーンが多い。村長もそれがわからないがゆえに、下放下の農村にモーツアルトが響くのだ。
 コメントを見ると、皆さん温かい眼で好意的に見られているように思います。わたしもこの作品はすばらしいものだと思います。しかし作者は文化大革命の吹き荒れる街や都会と文化果つるような村、それまでの都会の消費生活と大自然の中に沈むちっぽけな人間の生活、時代の先端を行く2人の青年と田舎の人々と純粋無垢な少女、二人の青年の少女へのそれぞれの愛し方といった対極に人物を登場させることにより、毛沢東一色の狂気のような文化大革命の対極に、人間としての営み自体は、そうした「上部構造」に左右されることなく、営々と続けられてきたのだということを訴えているような気がします。
 作者が名づけた、「バルザックと中国の小さなお針子」というタイトルそのものが、作者の最も言いたいモチーフを雄弁に物語っている。

 振り返って、人間個人の問題として考えた場合、だれでも一筋の道を歩むことは、本当にいいことなのか。この青年達のように、自分のせいではなくとも、「みちくさ」のように、ある種の敷かれた路線から外れて考え直すのもいいことではないかと考えてしまいます。
 その意味では文化大革命のこの「下放」という制度は、有意義な面もあったのではと考えてしまいます。それも、もう少し意義を見出せる形で、納得させた上でのことではあると思いますが。



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2017年5月10日水曜日

チャン・ツィイーの映画界デビュー作「初恋のきた道」

「中国百科映画館」初恋のきた道

 色々なコメントや感想を見るより、全ての人に無条件に見て欲しい。この映画には言葉は要らない。このページもすっ飛ばして、見て欲しい!

内容紹介
 言葉にできない想いの数が、ひと皿ふた皿増えてゆく。 切なさに胸ふるえる清冽なラブ・ストーリー

 少し前に見た映画であるが、このせちがらい、ギスギスした世の中に、未だこんな世界があったのだ!
 本当に純粋で愛は何でも貫く力があると改めて感じさせてくれた。

 張芸謀監督もこの時分は未だ純粋だったのかなと思った。ヒロインのチャン・ツィイーはあっという間に大女優になってしまった。清廉可憐な時代が余りに短すぎたように感じてしまう。余計なことを言いました。

【ストーリー】
華北の美しい村に、ある日都会から若い教師がやってくる。そんな彼に恋心を抱いた18歳の少女。彼女は言葉に出来ない想いを料理を作ることで伝えようとする。そんな想いが彼に届くが、時代の波が押し寄せ2人は離れ離れに。少女は町へと続く一本道で、来る日も来る日も愛する彼を待ち続けるのだが…。 2000年大ヒット・ロングランとなった珠玉のラブ・ストーリー。


【スタッフ&キャスト】
≪監督≫チャン・イーモウ
≪出演≫チャン・ツィイー



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2017年5月8日月曜日

命をかけてカモシカを護る男たちに捧げる挽歌「ココシリ」

密猟者とココシリ山岳隊の壮絶な戦い

映画「ココシリ」の舞台と背景

上の地図の赤い線で囲まれた部分が青海省で
そのほぼ中央の少し西よりの星印が「ココシリ自然保護区」です
 映画の題名にある「ココシリ」は中国青海省にある地名です。中国の中央部に位置する青海省、そして又その真ん中にある平均海抜4,700m、中国最後の秘境と呼ばれるココシリ自然保護区。
 この地域に棲息するチベットカモシカは、この地域に100万頭が生息していたとされますが、その毛皮が高値で取引されることから1985年以降乱獲が進み、わずか数年で1万頭にまで生息数が激減したそうです。これを取り締まるために民間のパトロール隊が結成され、摘発と保護のため、密猟者達と命がけの戦いを繰り広げました。
 この映画は、中国の最後の秘境と呼ばれる青海省の奥深い山間を舞台に繰り広げられる、チベットカモシカの密猟者とそれを追う民間パトロール隊の苦闘を描いたドキュメント風の物語です。




映画のあらすじ
 物語は、ある日、隊員が密猟者に殺される事件が発生。ガイはココシリに入り、密猟者を追う隊員に随行して取材を開始した。
 しかしその取材は、美しいが、密猟者にも山岳隊の隊員達にも同じ様に牙をむく自然の中で、自らの命を賭して密猟者達を追う、リータイ達と生活のためには密猟者の手先とならなければならない農民や猟師たちの泥沼の戦いであった。
 ガイは隊員らと山に入って3日目、湖畔で無数のチベットカモシカの死体を発見し、7日目に密猟者たちを発見し、隠していた毛皮も発見する。しかし捕らえたのは、毛皮をはぐ手伝いをしただけの農民たちだった。彼らもまた生計を立てるために密猟者の手伝いをしなければならなかった。
8日目、捕らえていた農民たちが逃亡、彼らを追いかける際に隊員の一人が肺気腫で倒れる。リータイは隊員を町の医者に見せるようリウに命ずる。また、農民たちを伴ったまま主犯を追うことは食料、燃料ともにもたないことから、リータイは彼らをその場に残すことを決めた。
10日目、隊の車の1台に燃料切れが発生、リータイは後から追いかけてくるはずのリウを待つよう指示し、なおも主犯を追った。
 しかし17日目、町から山に戻ってきていたリウは、誤って流砂に飲み込まれてしまう。一方同じ頃、リータイたちは山越えをしようとしていた主犯たちに追いつくが、逆に撃たれて命を落とす。

映画の見所
 隊長のリータイや多くの隊員たちが、密猟者の手にかかったり、事故によってその命をおとすという悲劇で終わるが、この出来事を報じたレポーターの記事によって、世の中に知られることとなり、この地区は自然保護区に指定され、一時種の保存すら危惧されていた、チベットカモシカの個体数も3万頭に回復したといわれる。
 なぜ、予算も要員も設備もない、見返りもない。しかも自分の命を賭してまで彼らは、ココシリ山岳隊の活動にこだわるのか。隊長にリータイは「このココシリを守らなければいけないのだ」と。それはボランティア活動というより宗教であるかのように感じました。「環境を守る」などというお題目でもなく、きれいごとでもない。毎日の生活はそのようなきれいごとでは済まされない。美しい環境は、その中に生きている人々が、祈りにも似た宗教活動のように、何も期待せず、黙々と「環境を守るという営み」を繰り返して初めて守られるものではないかと思いました。行政に守ってくれと願う前に、住民達が自らの手で守るのだという固い決意と努力が行政を動かし、世の中を変えるのだと感じています。
 また行政はそのよう安人々の営みに甘えてはならない。甘えは結局のところ怠慢にしかならず、自らの首を絞めることになってしまうのだとこの映画は教えてくれました。

最後に
 この映画の監督は陸川監督です。彼は中国映画の「第6世代」といわれています。第6世代とは、90年代以降に頭角を現してきた監督達です。90年代は、中国社会の改革が一層進んだことで、さまざまな社会矛盾が現れ始めた時期です。そんな中、社会の底辺で苦悩する人々の姿を描く、身近な題材をモチーフにした作品が増えてきます。この世代は、決して派手さはありませんが、淡々と人間の心理を描いた個性的な作品が多いのが特徴だと思います。

中国の第6世代監督についての詳しい説明は 【中国国際放送局】を参照しました。

 私は陸川監督の映画は「南京!南京!」に続いて、この「ココシリ」で2作目になりますが、先の「南京!南京!」は従来の中国映画と違って、日本人の目から見た「南京」という全く違った視点と細やかな心理描写がすばらしいと感じています。特に加害者たる日本人憲兵の「角川正雄」の人間性と日本兵という立場の間にゆれる心の葛藤、そして最後の小豆子親子が死の世界からようやく開放された時に見せたなんとも言えない安堵の表情と微笑みは見ているものをして良かったなという気持ちを起こさせるものでした。



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