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心に残る中国映画セレクション100: 文化大革命
妻への家路
映画の紹介
チャン・イーモウ監督×コン・リー主演の新たなる最高傑作が誕生!
アン・リー、スピルバーグなど、世界の巨匠達が絶賛! カンヌ、トロント映画祭など13もの映画祭にて拍手喝采で称えられた感動作。
近くに居ても心を通わすことができない、この世でも最も切ない夫婦の愛の物語に号泣必至!
映画データ
原題:『帰来』
出演: コン・リー, チェン・ダオミン, チャン・ホエウェン, チェン・シャオイー, イエン・ニー
言語: 中国語
字幕: 日本語
監督: チャン・イーモウ(張芸謀)
チャン・イーモウについて
映画監督:張 芸謀 は、中国の映画監督。
中国映画界の「第五世代」の監督として知られる。
また、撮影監督、俳優の経験もある。
生年月日: 1950年4月2日
生まれ: 中華人民共和国 西安市
受賞歴: 金熊賞、 金獅子賞、 カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ
ストーリー
1977年、荒れ狂った文化大革命が終結した。
無実の罪から開放されたり、強制労働から解放された人々も帰り、世の中は徐々に落ち着きを取り戻す。20年ぶりに解放された夫は妻との再会を果たすが、妻は長い長い心労の余り、夫だけの記憶を失っていた。
夫は出来るあらん限りの手を使い、妻の記憶を呼び戻そうとするが、妻は間近にいる夫を夫として認識せぬまま、「夫」を来る日も来る日も駅に出迎えに行く。
誰よりも愛し合い、誰よりもお互いを求めるものの、妻は夫を認識せぬまま、老いを迎えていく。
しかし妻の記憶喪失は単に待ちわびただけではない、彼女の記憶喪失の直接の原因には、もっと恐ろしいことが彼女の身の上に起こったことを夫は知ってしまう。
そのことを明らかにするためにその男・「方」某のところに向かう。しかし彼を待ち受けていたものは、その加害者と思しき方某も何処かに拘束され、妻もその夫を待ちわびているという現実だった。その男は加害者であると同時にそのその妻と共に被害者だった。
この「方」という苗字だが、この漢字には固有名詞以外のある思いが込められているように思う。つまり一般名としての「方」だ。日本でもこの漢字は、同じ使い方をされるが、方向をあらわす。
私は監督やこの作品の作者は、この「方」という名前に、あの方面の方という意味を込めている。あの方面というのは、権力者を指しているのではないかと思う。そして、この「方」は、映画の中では姿を現さない。妻にとっては、ぞんざいには扱えない影の存在だ。妻が自分自身を見出そうとすると必ず邪魔をする。
文化大革命の中国の人々残した傷はどこまでも深く癒されることはない。そのその重い現実を監督はラスト・シーンで静かなメッセージとして我々に語りかける。
文革への内省的視点
チャンイーモー監督が我々に深いメッセージとして残したのは、中国の大家である「巴金(1904~2005年)」と同じ視点だと思います。
彼は文革で他の作家と同じく迫害されたが、文革後、自らを単なる被害者ではなく加害者だとして、深い内省と批判を『随想録』(1978-1986)に綴り、文革博物館の建造もよびかけた。(1985年国立現代文化館)
巴金について、詳しい説明は 【「中国百科 文化・芸術」第10章文学 「現代中国の作家たち」】 ☜ こちらをクリックしてください
背景と見どころ
文化大革命が、中国の人々に与えた傷は今でも癒えることなくどこまでも深く深く、人々の心を「蝕んでいる」。
中国の映画人がこの文革の中で受けた迫害について、詳しい説明は 【「中国百科検定攻略ノート 「文化大革命と映画界」】 ☜ こちらをクリックしてください
映画の紹介
『さらば、わが愛 覇王別姫』などの名カメラマン、クー・チャンウェイが初監督を手掛けベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した感動ドラマ。
文化大革命の騒乱の状況とは違った意味で、大きく動き出した文革後の激動の中国を舞台に、地方都市で慎ましやかに暮らす家族が時代に翻弄されながら織り成す、愛と哀しみに満ちた人生模様を綴る。
映画データ
出演: チャン・チンチュー『セブンソード』、ファン・リー、 ルゥ・ユウライ
フォアン・メイイン、チャオ・イーウェイ
監督: クー・チャンウェイ (顧長衛)
字幕: 日本語
監督: 顧長衛について
中華人民共和国陝西省西安出身の映画監督、撮影監督。
生年月日: 1957年12月12日
生まれ: 中華人民共和国 西安市
配偶者: ジァン・ウェンリー (1993年から)
学歴: 北京電影学院
受賞歴: Golden Rooster Award for Best Cinematography
作品: 最愛
ストーリー
落下傘部隊の将校に恋した姉、知的障害がある気のいい兄、小さな町を飛び出した気弱な弟―。
待ち望んでも開かない孔雀の羽の様に、皮肉な運命に家族は翻弄され、そしてまた寄り添っていくしかない。
の
1977年、文化大革命は終焉する。人々は手にしたことのない自由を持て余し、迷いながら、歩きはじめた。
背景と見どころ
紅衛兵の脅威も漸く去り、凶暴で、息を詰めて暮らした人々の生活にも落ち着きが帰ってきた1977年。とある田舎の田園地帯に突然人民軍の落下傘部隊が飛び降りた。
真っ青な空から白いくらげがゆらゆら降りてくる。そしてそこに降り立った兵士は、男性も女性もはつらつとして、下から見上げていた田舎の変哲もない女子学生にとっては、まばゆく見える天使のようであった。
そこに住む人々は一様に貧しく、誰もが生活にもがいていた。しかし、家族は一時は離れ離れになるが、だれもその泥沼の底に沈むことなく、かといって華々しく飛び立つこともなく、それなりの家庭を持ちこの地に戻ってくる。
さてこの映画の舞台となっている鶴陽市というのはどこになるのだろう。グーグルMAPで検索してみたら、該当見当たらずということで、このような市は結局架空のものということになる。この都市が重要ではないが、珍しい名前(私には思えた)なので、もう少し当たってみると、小学校の名前にあった。お遊びで一応あげてみる。
ここは浙江省楽清市にある。楽清市は台州、恩州市に接し、歴史は古い。温州しは、宋の時代には「温州商人」の出身地として知られたところである。
映画の紹介
文句なしに涙を流した。両親の不慮の死により離れて暮らすことになった兄妹4人。20年の時を経て再会を果たそうとするが…。ユイ・チョン監督が贈る感動物語。出演はジジ・リョン、ジャン・ウーほか。
映画データ
出演: ジジ・リョン, ジャン・ウー, シア・ユイ
監督: ユイ・チョン (兪鍾)
中国人監督・兪鍾(ユー・チョン)について
兪鍾(ユー・チョン)は北京電影学院出身の映画監督。彼の手がけたものに『我的父親(私の父親)』『我的兄弟姐妹(私の兄弟)』などがあり、家族の絆を描く作品で高い評価を受けている。
字幕: 日本語
ストーリー
両親の死により、4人の子供たちが、色々の人に預けられ離れ離れに暮らすことになった。兄は幼い弟や妹達のため、必死になって養育先を探す。20年間はそれぞれが必死に生きたであろうことは、いちいち書くまでもない。
背景と見どころ
4人もいれば一人ぐらい拗ねたのも出てきても不思議はないが、この映画のいいところは、そのような安易な問題提起を出さず、基本的には全員のしっかりした生き方を通して、社会の矛盾を告発していることではないだろうか。
時代や感覚こそ違うかもしれないが、今こそ日本の子供や青少年全員に見て欲しい映画だ。
この映画の舞台設定は、優れた才能を持ちながらも、文化大革命のさなかに云われなきそしりを受け、主人公とその家族5人が悲惨な生活を強いられる。
文化大革命の中では、この主人公のような犠牲はまだ軽いほうで、現実には、文化大革命という「非文化革命」という激動の中で、暴力そのもので命を落とした、映画人は数知れない。
「中国百科 文化芸術編」の「文化大革命と映画界」の中で、その辺りに詳しく触れられているので、以下参照願いたい。しかも残念なことに、「この文化大革命」の総括は、未だしっかりと為されたとは云えず、今尚その残渣に苦しんでいる人々がいる。
詳しい説明は 【文化大革命と映画界】 ☜ こちらをクリックしてください
映画の紹介
オリンピック開催を控え、近代化のために消えていく北京の伝統的な街並み“胡同”を舞台に、そこで生きる画家親子の愛と葛藤の感動作品。2005年サン・セバスチャン国際映画祭 最優秀監督賞&最優秀撮影賞をW受賞!
映画データ
出演: スン・ハイイン, アン・チェン, チャン・ファン, ガオ・グー, ワン・ハイディ
監督: チャン・ヤン (張楊、1967年 - )
中国北京出身の映画監督。父の張華勳もアクション映画を手がけた映画監督。
少年時代を胡同で過ごした体験は後の彼の作品作りに影響を及ぼしている。
中山大学中文科、中央戯劇学院監督科で学ぶ。
第6世代の監督のひとりとして一躍注目を浴びる。
言語: 中国語, 日本語
字幕: 日本語
ストーリー
強制労働から帰ってきた父親は、文化大革命に翻弄された自分と世間が何か大きく変わろうとしてるのを感じているが、未だ自分の立ち居地がつかめない。そして自分の息子に対しても、息子の持つ才能を認めるがゆえに自分の同じようになって欲しくない。それだけに息子に厳しく当たる。一種の苛立ちが垣間見える。息子は父親の押し付けに反発をし自分の才能を憎みながら反発して離れるところまでは出来ない。そうするうちに息子にも恋人が出来、街の改造工事が進行し、人々は引き離されていく。父親は息子の恋人に対して・・・。
背景と見どころ
主人公の子供のころの有様が自分の子供のころのそれと余りによく似ているので驚いた。自分の子供のころ自転車のリムを転がして遊ぶ「輪ころがし」、馬乗り、ビン玉(我々はこう呼んでいた)、パン(カードの取り合い)、そしておんなの子達のゴム遊び、ままごとすべてが同じだ。さらに大人たちが炊事や洗濯をする周りで、子供たちがうるさいほど走り回っていた。映像を見ていて、ああ、日本にもこんな風景があったのだなあと懐かしく思い出された。
北京オリンピックに合わせて、北京では家々の立替が進み、古い胡同の町並みが壊され、見栄えのいい町並みに作られていったという。同時に北京の暖かいよき下町風景も消え去り、近代的な装いに変貌したという。日本でも、オリンピック、万博などのたびに同じことが繰り返されてきた。
自分も1997年ごろ商用で訪れた時と2006年頃たずねた時のその変貌ぶりに度肝を抜かれた気になったのを覚えている。一つのコミュニティーが消えてなくなる様は日本も中国も全く同じではないだろうか。これもこの映画の見所の一つだと思う。
もう一つは、映画に描かれた父親像は、多かれ少なかれこの時代の父親像を代表しているのではないだろうか。自分の父親と自分自身と映画の主人公と父親が余りに似通っているので驚いた。最も係り方という点では、自分と父親の係り方は映画の中のほうが濃厚であるが、気質的には非常に似たものをもっているように思う。こうした点からも日本人と中国人は切っても切れない縁を持っているように思う。
特記事項
映画の中に出てくる、主人公や家族が住む住居の建築様式は、京都の町屋のように見えるが、これは「四合院」といって、真ん中に少し広いスペースがあり、そのスペースの4方を囲った4軒の家々で共同で使うものだ。この建築様式はかなり古いもので、周の時代には既にあったとされている。北京の胡同にはこの「四合院」の様式の建屋が北京オリンピックごろまでは多く見られた。因みに魯迅も胡同の四合院の家に弟達と一緒に住んでいたとのことである。
この四合院に関する記述は部分的なもので、加筆が必要と感じています。乞うご期待!
この映画の背景には文化大革命がある。文化大革命は非常に多くの犠牲を生んだ一大権力闘争であった。その弊害は計り知れないものがあり、今でも中国の人々のこころの中にトラウマとして暗い影を残しているので、軽々しく論評できるものではないが、この「革命」が、遅れていた中国社会を暴力的にかき回し、旧態依然とした人々の価値観を捉えなおすきっかけになったことは事実だろう。この歴史的評価は中国人自身でしっかりと為されるべきものと考える。
映画情報
- 出演: ジョウ・シュン, チュン・コン, リィウ・イエ
- 監督: ダイ・シージエ(戴思杰)
- 言語: 北京語
- 原作: 戴監督の自著『バルザックと小さな中国のお針子』(早川書房刊)
- 字幕: 日本語
- 時間: 110 分
監督のプロフィール
中華人民共和国福建省生まれ。10代後半からの数年間、下放された四川省の山村で過ごす。1984年に政府給費留学生として、パリ映画高等学院に入学。以降、フランスに在住。フランス語で原作を書いた『バルザックと小さな中国のお針子』で作家デビューし、フランスで40万部のベストセラーとなった。また、この作品で多くの賞を受賞し、世界30ヶ国で翻訳された。
第6世代の映画監督といわれる。
あらすじ
文化大革命真っただ中の1971年に四川省の鳳凰山という山中の村に下放された17才のマー(リィウ・イエ)と18才のルオ(チュン・コン)は、2人とも医師の息子のエリート。1番近い町まで、石段を歩いて丸2日もかかる辺境の美しい山の奥の村だ。それまでの都会育ちで比較的自由な学生生活を送っていた二人の青年が、ある日突然文化果てる山奥に放り込まれて、非文化的な村人と生活を共にするようになる。
二人の青年は、それでも村人達との接触の中で、村人に影響を与え、又彼らもその非文化的な生活の中から、人間性を取り戻していく。
やがて二人は美しい村のお針子の娘をそれぞれの愛し方で愛する。ここでは二人は未だ中国の青年の無垢で純粋さを失ってはなく、その女を見捨てるようなことはしない。
しかし、一度自分自身に目覚めたそのお針子は、自らの意思で都会の荒波に打って出る決意をする。
この作品をどう見るか
ネットでは以下のような色々の感想が寄せられています。
- しかしあの時代、扉の向こうに行くことの代償はあまりにも大きい。
- 外から文革を描いた多くの映画とは異なり、自由主義を標榜して体制批判をしているわけではない。むしろ、当時の文革の理不尽さを描きつつも、中国山村の人々の独特の暖かさも伝わってくるのだ。
- フランスに移住した監督=原作者ということで、多少西洋かぶれな視点と言われればそれまでですが・・、
- モーツアルトの作品を「毛沢東同志にささげる歌」、デュマ「モンテ・クリスト伯」を「レーニンの航海」などとして弁解するあたり、文革の運動への冷ややかな視線と、飽くなき知識への渇望を象徴するようなシーンが多い。村長もそれがわからないがゆえに、下放下の農村にモーツアルトが響くのだ。
コメントを見ると、皆さん温かい眼で好意的に見られているように思います。わたしもこの作品はすばらしいものだと思います。しかし作者は文化大革命の吹き荒れる街や都会と文化果つるような村、それまでの都会の消費生活と大自然の中に沈むちっぽけな人間の生活、時代の先端を行く2人の青年と田舎の人々と純粋無垢な少女、二人の青年の少女へのそれぞれの愛し方といった対極に人物を登場させることにより、毛沢東一色の狂気のような文化大革命の対極に、人間としての営み自体は、そうした「上部構造」に左右されることなく、営々と続けられてきたのだということを訴えているような気がします。
作者が名づけた、「バルザックと中国の小さなお針子」というタイトルそのものが、作者の最も言いたいモチーフを雄弁に物語っている。
振り返って、人間個人の問題として考えた場合、だれでも一筋の道を歩むことは、本当にいいことなのか。この青年達のように、自分のせいではなくとも、「みちくさ」のように、ある種の敷かれた路線から外れて考え直すのもいいことではないかと考えてしまいます。
その意味では文化大革命のこの「下放」という制度は、有意義な面もあったのではと考えてしまいます。それも、もう少し意義を見出せる形で、納得させた上でのことではあると思いますが。