胡同のひまわり
映画の紹介
オリンピック開催を控え、近代化のために消えていく北京の伝統的な街並み“胡同”を舞台に、そこで生きる画家親子の愛と葛藤の感動作品。2005年サン・セバスチャン国際映画祭 最優秀監督賞&最優秀撮影賞をW受賞!
映画データ
出演: スン・ハイイン, アン・チェン, チャン・ファン, ガオ・グー, ワン・ハイディ
監督: チャン・ヤン (張楊、1967年 - )
字幕: 日本語
ストーリー
強制労働から帰ってきた父親は、文化大革命に翻弄された自分と世間が何か大きく変わろうとしてるのを感じているが、未だ自分の立ち居地がつかめない。そして自分の息子に対しても、息子の持つ才能を認めるがゆえに自分の同じようになって欲しくない。それだけに息子に厳しく当たる。一種の苛立ちが垣間見える。息子は父親の押し付けに反発をし自分の才能を憎みながら反発して離れるところまでは出来ない。そうするうちに息子にも恋人が出来、街の改造工事が進行し、人々は引き離されていく。父親は息子の恋人に対して・・・。
背景と見どころ
主人公の子供のころの有様が自分の子供のころのそれと余りによく似ているので驚いた。自分の子供のころ自転車のリムを転がして遊ぶ「輪ころがし」、馬乗り、ビン玉(我々はこう呼んでいた)、パン(カードの取り合い)、そしておんなの子達のゴム遊び、ままごとすべてが同じだ。さらに大人たちが炊事や洗濯をする周りで、子供たちがうるさいほど走り回っていた。映像を見ていて、ああ、日本にもこんな風景があったのだなあと懐かしく思い出された。
北京オリンピックに合わせて、北京では家々の立替が進み、古い胡同の町並みが壊され、見栄えのいい町並みに作られていったという。同時に北京の暖かいよき下町風景も消え去り、近代的な装いに変貌したという。日本でも、オリンピック、万博などのたびに同じことが繰り返されてきた。
自分も1997年ごろ商用で訪れた時と2006年頃たずねた時のその変貌ぶりに度肝を抜かれた気になったのを覚えている。一つのコミュニティーが消えてなくなる様は日本も中国も全く同じではないだろうか。これもこの映画の見所の一つだと思う。
もう一つは、映画に描かれた父親像は、多かれ少なかれこの時代の父親像を代表しているのではないだろうか。自分の父親と自分自身と映画の主人公と父親が余りに似通っているので驚いた。最も係り方という点では、自分と父親の係り方は映画の中のほうが濃厚であるが、気質的には非常に似たものをもっているように思う。こうした点からも日本人と中国人は切っても切れない縁を持っているように思う。
特記事項
映画の中に出てくる、主人公や家族が住む住居の建築様式は、京都の町屋のように見えるが、これは「四合院」といって、真ん中に少し広いスペースがあり、そのスペースの4方を囲った4軒の家々で共同で使うものだ。この建築様式はかなり古いもので、周の時代には既にあったとされている。北京の胡同にはこの「四合院」の様式の建屋が北京オリンピックごろまでは多く見られた。因みに魯迅も胡同の四合院の家に弟達と一緒に住んでいたとのことである。
この四合院に関する記述は部分的なもので、加筆が必要と感じています。乞うご期待!
オリンピック開催を控え、近代化のために消えていく北京の伝統的な街並み“胡同”を舞台に、そこで生きる画家親子の愛と葛藤の感動作品。2005年サン・セバスチャン国際映画祭 最優秀監督賞&最優秀撮影賞をW受賞!
映画データ
出演: スン・ハイイン, アン・チェン, チャン・ファン, ガオ・グー, ワン・ハイディ
監督: チャン・ヤン (張楊、1967年 - )
中国北京出身の映画監督。父の張華勳もアクション映画を手がけた映画監督。言語: 中国語, 日本語
少年時代を胡同で過ごした体験は後の彼の作品作りに影響を及ぼしている。
中山大学中文科、中央戯劇学院監督科で学ぶ。
第6世代の監督のひとりとして一躍注目を浴びる。
字幕: 日本語
ストーリー
強制労働から帰ってきた父親は、文化大革命に翻弄された自分と世間が何か大きく変わろうとしてるのを感じているが、未だ自分の立ち居地がつかめない。そして自分の息子に対しても、息子の持つ才能を認めるがゆえに自分の同じようになって欲しくない。それだけに息子に厳しく当たる。一種の苛立ちが垣間見える。息子は父親の押し付けに反発をし自分の才能を憎みながら反発して離れるところまでは出来ない。そうするうちに息子にも恋人が出来、街の改造工事が進行し、人々は引き離されていく。父親は息子の恋人に対して・・・。
背景と見どころ
主人公の子供のころの有様が自分の子供のころのそれと余りによく似ているので驚いた。自分の子供のころ自転車のリムを転がして遊ぶ「輪ころがし」、馬乗り、ビン玉(我々はこう呼んでいた)、パン(カードの取り合い)、そしておんなの子達のゴム遊び、ままごとすべてが同じだ。さらに大人たちが炊事や洗濯をする周りで、子供たちがうるさいほど走り回っていた。映像を見ていて、ああ、日本にもこんな風景があったのだなあと懐かしく思い出された。
北京オリンピックに合わせて、北京では家々の立替が進み、古い胡同の町並みが壊され、見栄えのいい町並みに作られていったという。同時に北京の暖かいよき下町風景も消え去り、近代的な装いに変貌したという。日本でも、オリンピック、万博などのたびに同じことが繰り返されてきた。
自分も1997年ごろ商用で訪れた時と2006年頃たずねた時のその変貌ぶりに度肝を抜かれた気になったのを覚えている。一つのコミュニティーが消えてなくなる様は日本も中国も全く同じではないだろうか。これもこの映画の見所の一つだと思う。
もう一つは、映画に描かれた父親像は、多かれ少なかれこの時代の父親像を代表しているのではないだろうか。自分の父親と自分自身と映画の主人公と父親が余りに似通っているので驚いた。最も係り方という点では、自分と父親の係り方は映画の中のほうが濃厚であるが、気質的には非常に似たものをもっているように思う。こうした点からも日本人と中国人は切っても切れない縁を持っているように思う。
特記事項
映画の中に出てくる、主人公や家族が住む住居の建築様式は、京都の町屋のように見えるが、これは「四合院」といって、真ん中に少し広いスペースがあり、そのスペースの4方を囲った4軒の家々で共同で使うものだ。この建築様式はかなり古いもので、周の時代には既にあったとされている。北京の胡同にはこの「四合院」の様式の建屋が北京オリンピックごろまでは多く見られた。因みに魯迅も胡同の四合院の家に弟達と一緒に住んでいたとのことである。
この四合院に関する記述は部分的なもので、加筆が必要と感じています。乞うご期待!
中国百科映画館のホームページに戻ります。
|
0 件のコメント:
コメントを投稿