千年の祈り
映画の紹介
世の中の嘘には二つの型がある。人を騙そうという嘘と人を傷つけまいという嘘である。
長く深い祈りの末、私たちは出会った― 『スモーク』の名匠ウェイン・ワンの新作は、人と人との絆を描いた感動の物語。
長年離れて暮らしてきた父と娘。全く異なる世界観を持ち、全く異なる価値観の支配する国にやってきて、二人はお互い理解し得ないことに戸惑う。しかし、互いを思いやるための嘘を脱ぎ捨て、互いに自分をさらけ出し話し合ううち、価値観を超えた、或いは価値観の底に流れるものを感じたとき・・・。心温まる感動が待っていた。
映画データ
出演: ヘンリー・オー, フェイ・ユー
監督: ウェイン・ワン(王颖:1949年1月12日 香港 生まれ)
1995年の『スモーク』でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、
2007年の『千年の祈り』でサン・セバスティアン国際映画祭金貝賞(最高賞グランプリ)を受賞している。
ストーリー
ある日突然、父はやってきた。離れてしまった心と心を結ぶため、遠路はるばる海を越えて─。
妻に先立たれ、北京で一人暮らす父。夫と別れ、アメリカで一人暮らしを送る娘。娘の行く末を案じて父がはるばる北京から訪ねてきた。
12年ぶりの再会を果たした父と娘は互いへの思いやりを持ちながらもどこかぎこちなく、食卓に流れるのは沈黙ばかり。
自慢の手料理を作り、毎晩仕事で帰りの遅い娘を待つ父は、やがて近隣に住むイラン人のマダムと知り合い、言葉が通じないにもかかわらず、次第に心を通わせていく。
そしてある日、ふとしたことから娘は父に積年の思いをぶつけると、父もまた、人生の最後に“本当のこと”を打ち明けるのだった…。
背景と見どころ
監督が、「映画の中の主人公のセリフで、『共産主義が悪いんじゃなく、それが悪い人々の手に渡ったからだ』という部分を制作会社から削れと要求されたが応じなかったから、投資を受けられなかった」という話をしていたと報じられていた。監督の、芯の強さと背筋が通った姿勢はすばらしいものと想う。
しかしこの主人公の言葉の半分はその通りだと思う。前半はそのとおりだと思うが、後半は少し納得しかねる。例えばダイナマイトだってそうだ。ダイナマイトに善悪があるわけではない。そいて、 「悪い人に渡ったから・・」の言葉の中の悪い人とはいったい何なのか。
共産主義は未だに西側の人間にとって悪魔の思想というように捉えられ疎まれているが、その中身を真摯に学び取ろうとせず、ただひたすら嫌悪して知ろうとしない人々も悪い人々ではないだろうか。(ここで私が言いたいのは、結局良し悪しの問題ではないのだということだ。)
中国の当局も西側の人間もその言葉をかみしめる時期に来ているのではないかと思う。
そして千年かかるはずの父と娘の分かり合いは、父と娘のほんの僅かな会話で溶けて行きます。どんなに体制が違えども、どんなに価値観が違えども、それを超越するものを人々は持っているのだという想いを静に心に滲み亙らせてくれたところが、この映画の最もすばらしいところだったと思います。
最後に色々の人がこの映画にコメントをしています。本当に色々の考え方があるのだと良く分かりました。このようなコミュニケーションが、この殺伐とした世の中を救うのかもしれません。ありがとう!
世の中の嘘には二つの型がある。人を騙そうという嘘と人を傷つけまいという嘘である。
長く深い祈りの末、私たちは出会った― 『スモーク』の名匠ウェイン・ワンの新作は、人と人との絆を描いた感動の物語。
長年離れて暮らしてきた父と娘。全く異なる世界観を持ち、全く異なる価値観の支配する国にやってきて、二人はお互い理解し得ないことに戸惑う。しかし、互いを思いやるための嘘を脱ぎ捨て、互いに自分をさらけ出し話し合ううち、価値観を超えた、或いは価値観の底に流れるものを感じたとき・・・。心温まる感動が待っていた。
映画データ
出演: ヘンリー・オー, フェイ・ユー
監督: ウェイン・ワン(王颖:1949年1月12日 香港 生まれ)
1995年の『スモーク』でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、
2007年の『千年の祈り』でサン・セバスティアン国際映画祭金貝賞(最高賞グランプリ)を受賞している。
ストーリー
ある日突然、父はやってきた。離れてしまった心と心を結ぶため、遠路はるばる海を越えて─。
妻に先立たれ、北京で一人暮らす父。夫と別れ、アメリカで一人暮らしを送る娘。娘の行く末を案じて父がはるばる北京から訪ねてきた。
12年ぶりの再会を果たした父と娘は互いへの思いやりを持ちながらもどこかぎこちなく、食卓に流れるのは沈黙ばかり。
自慢の手料理を作り、毎晩仕事で帰りの遅い娘を待つ父は、やがて近隣に住むイラン人のマダムと知り合い、言葉が通じないにもかかわらず、次第に心を通わせていく。
そしてある日、ふとしたことから娘は父に積年の思いをぶつけると、父もまた、人生の最後に“本当のこと”を打ち明けるのだった…。
背景と見どころ
監督が、「映画の中の主人公のセリフで、『共産主義が悪いんじゃなく、それが悪い人々の手に渡ったからだ』という部分を制作会社から削れと要求されたが応じなかったから、投資を受けられなかった」という話をしていたと報じられていた。監督の、芯の強さと背筋が通った姿勢はすばらしいものと想う。
しかしこの主人公の言葉の半分はその通りだと思う。前半はそのとおりだと思うが、後半は少し納得しかねる。例えばダイナマイトだってそうだ。ダイナマイトに善悪があるわけではない。そいて、 「悪い人に渡ったから・・」の言葉の中の悪い人とはいったい何なのか。
共産主義は未だに西側の人間にとって悪魔の思想というように捉えられ疎まれているが、その中身を真摯に学び取ろうとせず、ただひたすら嫌悪して知ろうとしない人々も悪い人々ではないだろうか。(ここで私が言いたいのは、結局良し悪しの問題ではないのだということだ。)
中国の当局も西側の人間もその言葉をかみしめる時期に来ているのではないかと思う。
そして千年かかるはずの父と娘の分かり合いは、父と娘のほんの僅かな会話で溶けて行きます。どんなに体制が違えども、どんなに価値観が違えども、それを超越するものを人々は持っているのだという想いを静に心に滲み亙らせてくれたところが、この映画の最もすばらしいところだったと思います。
最後に色々の人がこの映画にコメントをしています。本当に色々の考え方があるのだと良く分かりました。このようなコミュニケーションが、この殺伐とした世の中を救うのかもしれません。ありがとう!
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