小さな中国のお針子
この映画の背景には文化大革命がある。文化大革命は非常に多くの犠牲を生んだ一大権力闘争であった。その弊害は計り知れないものがあり、今でも中国の人々のこころの中にトラウマとして暗い影を残しているので、軽々しく論評できるものではないが、この「革命」が、遅れていた中国社会を暴力的にかき回し、旧態依然とした人々の価値観を捉えなおすきっかけになったことは事実だろう。この歴史的評価は中国人自身でしっかりと為されるべきものと考える。
映画情報
中華人民共和国福建省生まれ。10代後半からの数年間、下放された四川省の山村で過ごす。1984年に政府給費留学生として、パリ映画高等学院に入学。以降、フランスに在住。フランス語で原作を書いた『バルザックと小さな中国のお針子』で作家デビューし、フランスで40万部のベストセラーとなった。また、この作品で多くの賞を受賞し、世界30ヶ国で翻訳された。
第6世代の映画監督といわれる。
あらすじ
文化大革命真っただ中の1971年に四川省の鳳凰山という山中の村に下放された17才のマー(リィウ・イエ)と18才のルオ(チュン・コン)は、2人とも医師の息子のエリート。1番近い町まで、石段を歩いて丸2日もかかる辺境の美しい山の奥の村だ。それまでの都会育ちで比較的自由な学生生活を送っていた二人の青年が、ある日突然文化果てる山奥に放り込まれて、非文化的な村人と生活を共にするようになる。
二人の青年は、それでも村人達との接触の中で、村人に影響を与え、又彼らもその非文化的な生活の中から、人間性を取り戻していく。
やがて二人は美しい村のお針子の娘をそれぞれの愛し方で愛する。ここでは二人は未だ中国の青年の無垢で純粋さを失ってはなく、その女を見捨てるようなことはしない。
しかし、一度自分自身に目覚めたそのお針子は、自らの意思で都会の荒波に打って出る決意をする。
この作品をどう見るか
ネットでは以下のような色々の感想が寄せられています。
作者が名づけた、「バルザックと中国の小さなお針子」というタイトルそのものが、作者の最も言いたいモチーフを雄弁に物語っている。
振り返って、人間個人の問題として考えた場合、だれでも一筋の道を歩むことは、本当にいいことなのか。この青年達のように、自分のせいではなくとも、「みちくさ」のように、ある種の敷かれた路線から外れて考え直すのもいいことではないかと考えてしまいます。
その意味では文化大革命のこの「下放」という制度は、有意義な面もあったのではと考えてしまいます。それも、もう少し意義を見出せる形で、納得させた上でのことではあると思いますが。
映画情報
- 出演: ジョウ・シュン, チュン・コン, リィウ・イエ
- 監督: ダイ・シージエ(戴思杰)
- 言語: 北京語
- 原作: 戴監督の自著『バルザックと小さな中国のお針子』(早川書房刊)
- 字幕: 日本語
- 時間: 110 分
中華人民共和国福建省生まれ。10代後半からの数年間、下放された四川省の山村で過ごす。1984年に政府給費留学生として、パリ映画高等学院に入学。以降、フランスに在住。フランス語で原作を書いた『バルザックと小さな中国のお針子』で作家デビューし、フランスで40万部のベストセラーとなった。また、この作品で多くの賞を受賞し、世界30ヶ国で翻訳された。
第6世代の映画監督といわれる。
あらすじ
文化大革命真っただ中の1971年に四川省の鳳凰山という山中の村に下放された17才のマー(リィウ・イエ)と18才のルオ(チュン・コン)は、2人とも医師の息子のエリート。1番近い町まで、石段を歩いて丸2日もかかる辺境の美しい山の奥の村だ。それまでの都会育ちで比較的自由な学生生活を送っていた二人の青年が、ある日突然文化果てる山奥に放り込まれて、非文化的な村人と生活を共にするようになる。
二人の青年は、それでも村人達との接触の中で、村人に影響を与え、又彼らもその非文化的な生活の中から、人間性を取り戻していく。
やがて二人は美しい村のお針子の娘をそれぞれの愛し方で愛する。ここでは二人は未だ中国の青年の無垢で純粋さを失ってはなく、その女を見捨てるようなことはしない。
しかし、一度自分自身に目覚めたそのお針子は、自らの意思で都会の荒波に打って出る決意をする。
この作品をどう見るか
ネットでは以下のような色々の感想が寄せられています。
- しかしあの時代、扉の向こうに行くことの代償はあまりにも大きい。
- 外から文革を描いた多くの映画とは異なり、自由主義を標榜して体制批判をしているわけではない。むしろ、当時の文革の理不尽さを描きつつも、中国山村の人々の独特の暖かさも伝わってくるのだ。
- フランスに移住した監督=原作者ということで、多少西洋かぶれな視点と言われればそれまでですが・・、
- モーツアルトの作品を「毛沢東同志にささげる歌」、デュマ「モンテ・クリスト伯」を「レーニンの航海」などとして弁解するあたり、文革の運動への冷ややかな視線と、飽くなき知識への渇望を象徴するようなシーンが多い。村長もそれがわからないがゆえに、下放下の農村にモーツアルトが響くのだ。
作者が名づけた、「バルザックと中国の小さなお針子」というタイトルそのものが、作者の最も言いたいモチーフを雄弁に物語っている。
振り返って、人間個人の問題として考えた場合、だれでも一筋の道を歩むことは、本当にいいことなのか。この青年達のように、自分のせいではなくとも、「みちくさ」のように、ある種の敷かれた路線から外れて考え直すのもいいことではないかと考えてしまいます。
その意味では文化大革命のこの「下放」という制度は、有意義な面もあったのではと考えてしまいます。それも、もう少し意義を見出せる形で、納得させた上でのことではあると思いますが。
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