google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100: 「長江哀歌」長江の底に沈む人々の営みを哀愁を込めて描く

2017年5月12日金曜日

「長江哀歌」長江の底に沈む人々の営みを哀愁を込めて描く

長江哀歌

映画の説明
2006年ベネチア国際映画祭 金獅子賞グランプリ!


市井の人々の「生」の瞬きを描いた中国の若き名匠ジャ・ジャンクー(賈樟柯)の最高傑作。


賈 樟柯(ジャ・ジャンクー)
中国の映画監督・脚本家・映画プロデューサー。
中国映画界の「第六世代」の監督として知られる。
生年月日: 1970年5月24日 (46歳)
生まれ: 中華人民共和国 汾陽市
粗あらすじ
大河・長江の景勝の地、三峡。舞台はそのほとり、二千年の歴史を持ちながら、ダム建設によって伝統や文化も、記憶や時間も水没していく運命にある古都。16年前に別れた妻子に再会するため、山西省からやってきた炭鉱夫サンミンと、2年間音信不通の夫を探すシェン・ホンの2人を軸に描かれる、時代のうねりに翻弄されながらも日々を精一杯に生きる市井の人々の「生」の物語。

映画の舞台の説明
 この映画の舞台となったのは、長江中流域です。長江の遊覧船は、重慶を5~6000トンの船で出発して、三国時代に劉備が語との戦いに敗れ逃げ込んで臨終を迎えた城を見学し、さらにかの李白の詩で有名な白帝城を見学し、三峡ダムの上流側に着く。ダムを観光バスで通過、ダムの下流で又別のバスに乗り換えて宜昌に到達する。このダムにはパナマ運河と同じ様な運河が併設されており、普通の船はこの運河を通ってダムがあっても上流と下流を行き来できるようになっている。
 始点の重慶は四川省の首都の成都から新幹線で約2時間ほどのところにある巴蜀最大の都市で、現在では中国直轄の大都会である。昔日本軍が、重慶にその当時としては最大規模の空爆を敢行した歴史的な都市でもある。
 この物語の舞台は、重慶から白帝城までの中間の地点の奉節という小さな街となっている。このあたりの村や町はさらに下流にできる三峡ダムのために川底に沈んでしまった。映画にも出てくる1、2年後には、水位が136mとか158mに達する。そのためビルや家屋は取り潰し、立ち退きを余儀なくされている。 ここに住む人々も田畑を捨て、家を捨てて、文句を言いながらも、国家権力に翻弄されざるを得ない。


映画の見どころ
この街の下流の宜昌という街では、国家権力の威信をかけて、世界最大のダムが作られた。一方この街ではその世界最大のダムのために人々の暮らしが破壊され、川の中に沈もうとしている。そしてそれを支えるために、街のビルや家屋がハンマーで叩き壊されていく。村の人々はこの土木作業に一日60元という賃金で動員されている。それでも食えないので、嫁を売ったり買ったりすることが行われ(この映画の主人公の男性は嫁を3000元出して「買って」いる。)、売春も横行している。さらに川底に沈む文化財の遺跡を発掘するという矛盾。そういったやりきれない矛盾や現世の繋がりのあらゆる物を飲み込んで水位が上がっていく。
 この映画は山西省から妻や子供を捜してやってきた炭鉱夫と夫を探してやってきた看護婦の二人を軸に展開する。それぞれが別々にそれぞれの出会いと別れの糸を紡ぎながら、川に沈む文様を織り成して去っていく。おそらく歴史に花を残すことがないだろう市井の人々の生活を飲み込んで今日も長江は流れる。こうして、日常の生活は本当にやりきれないある意味絶望的なものであるが、この映画には不思議にそういった絶望感は浮かんでなく、ただひたすら耐え忍んで、生を繫いでいくという「生命力」を感じさせる。


白帝城
白帝城は今は長江の岸壁から離れて、島になっており、岸から白帝城に行くには橋を渡らねばならなくなっている。そしてその島を取り巻く長江の流れはまっ茶色の濁流が滔々と流れており(たまたまかもしれないが)、とても李白の時代の詩を思い出すわけには行かなくなっている。

早発白帝城 李白

朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山




三峡ダムは国家威信をかけて、完成させただけに、その規模はとてつもなく大きい。
 その水圧により、四川大地震が誘引されたという噂もあるくらいである。 

ダム工事に使われたダンプカー
三峡ダムの横に併設された船舶通行用の運河である。パナマ運河と同様に水位を調節して船が上流と下流を行き来できるようになっている。元々長江は重慶までは数千トンの船舶が航行するぐらいの河であったので、三峡ダムでもその運行は保障されている。





難癖をつける感じになるのはいやなんで、負の側面をあまり出したくはないが、私が観光でこの長江を見たときは、黄色い泥水と川面全体を覆う夥しい量のごみであった。たしかにこの河で生活していた何十万世帯の人々の生活が奪われたのだからその生活ゴミだけでも夥しいものとなることは予想できる。当局は細々と人手を使ってゴミを集め焼却をしていた光景に出会わせた。

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