google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100: 上海
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2017年8月21日月曜日

「再開の食卓」:第6世代の王全安が贈るベルリン国際映画祭の受賞作品

再会の食卓

第6世代の王全安が贈るベルリン国際映画祭の受賞作品、戦争に翻弄された庶民の生活を描いた中国映画「再会の食卓」
台湾海峡を隔て、引き離されて40年、新婚の夫婦の再会。失った年月は取り戻せるのか? また取り戻すことに意味があるのか?二人がそれぞれに悩んで導き出した結論は?


映画の紹介
 引き離されて40年、新婚1年の夫婦の再会。果たしてタイムカプセルのように失った時間を取り戻せるのだろうか。ベルリン国際映画祭の受賞作品。主演の女優、その現在の夫、いぶし銀の如くしぶい光を放つ。決して光りすぎずかといってくすんでもいない。

映画データ
製作年:2010年
製作国:中国
原題:APART TOGETHER

出演:リン・フォン 、 リサ・ルー 、 シュー・ツァイゲン 、 モニカ・モー
監督:ワン・チュアンアン(中国名:王全安)

監督:ワン・チュアンアンについて
ワン・チュアンアン(中: 王全安, 1965年10月16日 - )
中国映画界の「第六世代」の監督として知られる。
生まれ: 1965年 · 陝西省
配偶者: キティ・チャン (2011年 年結婚)
学歴: 北京電影学院
映画: 再会の食卓 ·トゥヤーの結婚
ストーリー
 上海で暮らす玉娥(ユィアー)一家に、台湾で暮らす玉娥の元国民党軍兵士の元夫・燕生(イェンション)訪中団の一員として尋ねてくる。建前は、儀礼的なものだが、本音は玉娥を台湾につれて帰ること。
 台湾で暮らす燕生は妻を近年亡くし、一人さびしく暮らしていた。昔上海で戦争の混乱の中で引き離された妻の玉娥のことが忘れられない。
 玉娥と燕生は昔生活した場所などを一緒に訪ねるうちに玉娥は過ぎし日を取り戻し、燕生と共に台湾に渡ることを夢見るようになる。しかし、一方では、現在の夫・善民(シャンミン)と子どもたちとすごした40年間を白紙に戻すことが出来ないでいた。
 40年の月日の経過は、そんなユィアーの家族たちにとっても、イェンション自身にとっても重苦しくのしかかる。
 夫・善民は寂しさを抱えながらも、妻の幸せを願い、妻を台湾に送り出そうとする。
 燕生は玉娥とその家族との話し合いを粘り強く重ねるうち、ある結論にたどり着く。


背景と見どころ
 いろんな事情で引き離された夫婦であっても、現実に過ぎ去った期間を簡単には消し去ることは出来ない。自分自身の思い、子供たちの想い、思惑、社会制度上の制約など等。

 三人が下した結論ではあるが、それに委ねるしか他に道はない。それにしても、夫婦愛を見事に浮かび上がらせた作品は素晴らしい。




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2017年6月2日金曜日

太平洋戦争勃発前夜の血みどろの「上海」 これが戦場だ!

上海

渡辺謙の迫力が半端でない。

映画の紹介
AMAZONプライムビデオで提供された映画。中国映画と思いきやアメリカ中国の合作か?
 1941年第2次世界大戦さなかの上海は、各国のスパイが入り乱れて、血みどろの戦いが繰り広げられていた。折りしも日本は真珠湾攻撃を準備しつつあり、息詰まるスパイ戦が、各国の命運をかけて展開されていた。そして日本の真珠湾攻撃が為され、今まで形式上は中立を守っていたアメリカが参戦することとなる。


映画データ
主演:ジョン・キューザック, コン・リー, 菊地凛子
監督:ミカエル・ハフストローム


ストーリー
 主人公の米国諜報部員ポール(ジョン・キューザック)が降り立つ。彼の目的は、親友の死の真相究明。中国、アメリカ、日本を巡る巨大な陰謀の影と、執拗にポールをつけ狙う日本人将校、田中(渡辺謙)、亡き友が愛した女(菊地凛子)ら、謎多き者たちの存在。
 そして彼は遂に、事件のカギを握る裏社会のドン、アンソニー(チョウ・ユンファ)と、彼の美しき妻アナ(コン・リー)に辿りつく。このアナはその美貌を武器に、日本の軍事機密を狙うレジスタンス組織のメンバーだった。


背景と見どころ
 この映画の見所は、自分の生命を省みず、レジスタンスの戦いに奔走するアナ(コン・リー)とそれをかげながら応援するポール(ジョン・キューザック)の活躍であろう。コン・リーは血なまぐさい、どろどろした暗黒の泥沼に咲く一輪の白いユリにでも例えられる美しさと気品を持っている。彼らは、日本の将校の田中の毒牙から無事脱出できるか。手に汗を握るサスペンス。

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2017年5月15日月曜日

中国百科映画館 「中国映画界の誕生」

怒涛のような中国映画界の勢い

アメリカに先んじていた中国の映画界

映画の誕生
 この世の中に映画が誕生したのは、1893年、アメリカでトマス・エジソンが最初の「キネトスコープ」を発表した時に始まったと思われているが、これは箱を覗くとそこに動く映像が見えるという覗き穴式だったため、現在の映画の直接的な起源とは考えられていない。直接の映画の起源は1895年にフランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」である。
1910年代半ばになって漸く、映画会社が作られ始め、本格的な映画の撮影が始まったのは1920年代に入ってからになる。
 アメリカではビジネスの環境は整っていたのであろうが、発明者のエジソンが特許を独占したため、正常な映画産業の育成に大きな遅れをとってしまったという。

時代の最先端をいっていた中国映画界
 1895年にフランスのリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」の発明から、わずか1年後の1896年8月11日、上海徐園で最初の「映画」が上映されたと言われているが、詳細は分かっていない。中国最初の映画撮影は戯曲だった。  1905年夏に名優谭鑫培が黄忠を演じる京劇「定軍山」の1段を3日かけて北京の豊泰写真館の劉仲倫が撮った。
 そして1923-25年には、全国で175の映画会社が設立された。そのうち141社は上海にあったという猛烈な成長ぶりであった。これは、上海が第一次世界大戦を受けて、世界金融センターとしての立場を確立していたことにもよるが、中国が色々な意味で世界に遅れをとっていたことに対する、一種の民族意識の高揚があったのではなかろうか.

 
 それにしても上海は、将に時代の最先端をいっていたのだろう。

詳しい説明は 【中国映画の黎明】 ☜  をクリックしてください。
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