google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100

2017年6月11日日曜日

中国映画というより中国を舞台にしたフランス映画「中国の植物学者の娘たち」詩的で官能的なラヴ・ストーリー

中国の植物学者の娘たち

映画の紹介
中国百科映画館がお薦めの映画「中国の植物学者の娘たち」
  ――官能的なラヴ・ストーリーに込められた監督の真のメッセージは??

◆愛の囁きが、ふたりの楽園にひそやかに沁み込んでいく
  ――詩的で官能的なラヴ・ストーリー!
◆2006年モントリオール世界映画祭 最優秀芸術貢献賞&観客賞受賞


映画データ
出演: ミレーヌ・ジャンパノワ, リー・シャオラン, グエン・ニュー・クイン
監督: ダイ・シージエ(戴思杰)

監督のプロフィール
出生: 1954年3月2日
出身地: 中国福建省
職業: 映画監督、作家
簡体字: 戴思杰
言語: 中国語, 日本語
発売日 2011/10/21


ストーリー
湖の小島で外界と隔絶して暮らす植物学者の元に、孤児の少女ミンが実習生として赴任する。 学者の娘アンもまた母を亡くしており、2人は深く共感しあっていく。

背景と見どころ
 植物園という閉ざされた秘密の花園。薬草を蒸したベッドで戯れ、人知れずタブーを破る孤独な二人の美しい女性の禁断の同性愛を描く、究極のエロティック・ラブストーリー!激しく純粋に求め合い、永遠の愛を願う二人には、残酷な運命が待ち受けていた。二人の許されざる愛が迎える衝撃のラストとは…。

 この映画は、中国の河北省の唐山を舞台としているが、唐山は1976年に起こったマグニチュード7.5の「唐山地震」の震源となったところだ。この地を舞台に選んだ理由は何なんだろうと考えさせられる。
 ミンが赴任する際にお土産として持ち込んだオウムが「毛沢東万歳」というシーンが出てくるが、これがこの監督の反体制のメッセージと思う。このスローガンを人ではなく、何も考えることのない鸚鵡にいわせることで、毛沢東礼賛の気風が色濃く残っていることを示し、それが人々から「自由」を奪っているのだということを言いたかったのだと思う。
 しかし、このような考え方そのものが、毛沢東が「文芸講話」の中で、最も批判したことであり、今なお中国がその呪縛から抜けきっていない「毛沢東思想」と真っ向から対立するものなのだ。



 唐山地震(とうざんじしん)の概要
1976年7月28日3時42分(現地時間、UTC+8)に中華人民共和国河北省唐山市付近を震源として発生したマグニチュードMw7.5の直下型地震である。市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、当時有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。死者数は中国発表で約25万、アメリカの地質調査所の推計では65.5万人となっている。
 この地震による死者は公式記録によれば242,419人を数え、これは20世紀最大の地震被害である。当時中国は文化大革命の終焉時期ではあるが、未だ余韻の残っていた時であり、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を拒否した。このことが犠牲者の拡大をもたらした一因だといわれている。



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2017年6月7日水曜日

「ムーラン」:心に残る中国映画セレクション100が贈る中国のジャンヌダルク 

ムーラン:心に残る中国映画セレクション100が贈る中国のジャンヌダルク、かのヴィッキー・チャオが中国の伝説のジャンヌダルクになりきった!

木蘭(ムーラン)は、中国の南北朝時代の故事「木蘭詩(木蘭辞)に登場する。武術に長けたことから、病弱な父の代わりに女であることを封じ戦地で戦った英雄ムーランの壮絶な生き様を描くアクション・スペクタクル! 突厥などが遊牧民族国家として、漢民族と北方で覇を競うようになる時代背景の下でこの叙事詩は生まれた。

映画の紹介

 戦いの歴史という荒波に翻弄された男女がたどる、悠々しくも切ないバトルアクション・エンターテイメントがリプライス! !


映画データ
出演: ヴィッキー・チャオ, チェン・クンシャオフー, イシー・チャン, フー・ジュン, ユー・ロングァン
監督: ジングル・マ
言語: 中国語
字幕: 日本語
時間: 114 分


ストーリー
 木蘭(ムーラン)が登場する故事「木蘭詩(木蘭辞)」は、中国の南北朝時代に作られた作者不明の古楽府のひとつ。「木蘭詩」は詩歌や戯曲・小説の題材となり、小説としては清代の「隋唐演義」(作:褚人穫)に木蘭のエピソードが収められています。
 武術に長けたことから、病弱な父の代わりに女であることを封じ戦地で戦った英雄ムーランの壮絶な生き様を描くアクション・スペクタクル!ヴィッキー・チャオ、チェン・クンほか出演



背景と見どころ
 ムーラン自体は伝説の英雄で、架空の人物だったとしても、その物語を生んだ時代背景が気になるが、どうも時代背景がはっきりしない。映画に出てくる柔然、魏軍、鉄を求める等から、柔然が勢力を持ち、魏軍と勢力を争った時代などを考え合わせると、魏晋・南北朝・隋・唐の時代辺りの物語と考えられる。隋の力が弱まり、唐が力を得るころには、突厥が柔然を滅ぼし、遊牧民族国家を形成し、モンゴル付近にいたチュルク系民族が力を得るようになる。この物語は5世紀~6世紀にかけての物語かなと推察する。

 そのような難しい話は別として、武装映画にも拘らず、しっとりとした情感にあふれた展開はすばらしいと思います。雄大な景色、砂嵐などの自然の猛威などが人間の争いをますます小さなものにしてしまうようでした。主人公のヴィッキー・チャオの魅力・・やはり素晴らしい。戦場で将軍として振舞わなければならないのにあの女らしさは、ありえないと思うのですが・・。もう少し将軍としての冷徹さと自分との戦いの葛藤が出せたらもっと良かったのじゃないかと思います。

ヴィキペディアによれば、柔然の衣食住の様式は以下の通りということ。
柔然の5C-6Cの勢力範囲地図
 夏は漠北で暮らし、冬になると漠南に移動し、また夏になると漠北に帰る。というように移動しながら狩猟・牧畜をして生活をしていた。中国のように城郭をもたず、氈張(穹盧)に住み、移動の際にはそれを折りたたみ、家財道具とともに轀車(おんしゃ:荷車、キャンピングカー)に載せて運搬する。入口は必ず太陽の昇る東側に向け、東面の座を上座とした。食物は酪(らく:乳製品)と肉を常食とし、穀物も食べていた。髪型は辮髪で、服装は錦・革製の短上衣、口の窄いズボン、深い靴、外套を身につけていた。

 映画の中でははっきりしなかったが、柔然の女性は辮髪のようであったが、男達は普通のザンバラ髪のようだ。しかし戦場の場面だけだし、細かいこと云えば限がない。娯楽映画としては、十分だろう。ついでに柔然の奴隷として、製鉄に携わっていた部族に、後にトルコの地域で一大帝国を築いた突厥がある。本当に人生何があるかわからないものだ。 


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