google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100

2018年6月1日金曜日

中国映画「一輪明月 ~弘一大師の生涯」:漫画を世に送出した豊子ガイとの麗しい師弟関係

一輪明月 ~弘一大師の生涯

中国映画のDVD「一輪明月 ~弘一大師の生涯」を観ました。

 この映画は、清朝末期から日中戦争末までを生きた禅宗の高僧で、芸術家でもあった、弘一大師の波乱に満ちた生涯を描いたものです。 日本ではあまり有名ではありませんが、中国では中国の近代芸術を開いた禅宗の高僧として広く知られて、深い尊敬をを受けています。彼の薫陶を受け、中国で「漫画」というジャンルを確立した豊子愷が羽ばたいています。
 中国映画「弘一大師の生涯」は2005年に製作されています。主人公の日本人妻として、ビビアン・スーが起用されています。


映画のキャッチコピー
 孤高の天才芸術家・弘一大師の生涯を描く人間ドラマ。天津の裕福な家庭で妾妻の子として育った李叔同は、25歳で日本に留学し芸術を学び、その後の中国芸術界に新風を吹き込む。日本人女性との結婚、仏教への傾倒、出家、妻との別離までを綴った感動作。


映画データ
製作年: 2005年
製作国: 中国
原題: A BRIGHT MOON

監督: ルー・チー 、 路奇
出演: プー・ツンシン 、 ビビアン・スー(徐 若瑄) 、 リー・ジエンチュン 、 マー・シューリアン 、 グー・ハイビン 、 マー・シューリャン
ストーリー
 この映画は弘一大師の生涯を忠実に描いた伝記である。
 しかし、いくら伝記ものといえ、時代背景のぶつ切りの節目節目をつなぎ合わせただけの、ある意味粗雑なつくりになっているのは残念。
 また、その間の主人公の心の葛藤と時代背景との関連が描かれていなく、主人公の行動が分かりにくいものになっている。く

背景と見どころ
 物語は、清朝末期太平天国の乱等で、社会は大きく乱れる時代を描く。清朝は、李鴻章の地方軍閥「淮軍」、曽国藩の「湘軍」等の力を利用し、押さえ込もうとするが、命脈の尽きた清朝を立て直すことは出来ず、社会は乱れに乱れることとなった。
 この映画は、1880年主人公が生まれた年から、1911年の辛亥革命、袁世凱の台頭、国民政府の成立、日本の侵略、日中戦争、太平洋戦争までの主人公の生きた動乱の時代を背景に主人公の生涯を描き出す。
 また、弘一大師の弟子である、豊子愷は日本の竹久夢路にも師事した画家であり、「漫画」という題つきの線画という新しいジャンルの確立に貢献をしている。この映画でも、弘一大師と豊子愷の師弟関係が描かれており興味深い。
 また、もう一つ残念な点は、この映画が全体的に荒削りで、緻密さにかける点である。昔の創世記の映画ではあるまいし、もう少し丁寧な描き方をして欲しかった。

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2018年4月4日水曜日

中国映画「項羽と劉邦 鴻門の会」:中国の天下を争った三人の武将の死に様を描く

項羽と劉邦

中国映画のDVD「項羽と劉邦 鴻門の会」を観ました。すばらしい映画です。
 「中国映画おすすめ100選への道」がこれはいいという中国の映画を探して、その時代の歴史的背景に注目して、映画の案内をお送りしています。
中国映画「項羽と劉邦 鴻門(こうもん)の会」:京劇でも有名な「覇王別記」のもう一つの舞台


映画の紹介
 中国の歴史の一大転換期と言われる春秋戦国時代にその名を轟かせた武将・項羽、劉邦、韓信らが、激闘を経てやがて覇王となっていく半生と生き様を描く。
 映画としては。「生き様」というより、両雄の「死に様」を対比させた映画である。私にとっては、項羽と虞妃の関係、劉邦と呂皇后との関係の対比が面白い。



映画データ
出演: ダニエル・ウー, リウ・イエ, チャン・チェン, チン・ラン
監督: ルー・チューアン
言語: 中国語 字幕: 日本語
販売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
発売日 2014/11/12
時間: 116 分


  ストーリー
 ストーリーの主眼は、中国ではじめて統一国家を成し遂げた秦朝が倒れた後の後処理におかれる。

 項羽は劉邦が自分より先に(秦の本拠地の関中 (陝西省) に入った者が王となる約束していた)関中に入ったとして劉邦を抹殺しようとした。その衝突を心配した劉邦の将軍の張良や項羽の叔父の項伯らが和睦をはかり,咸陽の入口の鴻門で両者を会合させた (BC 206) 。

  この会合で劉邦は項羽に忠誠を誓った。項羽は劉邦を殺そうとするも、何とか逃れる。劉邦は陣を立て直し項羽を攻め、項羽は虞妃とともに自害し果てる。(この場面は京劇での演目「覇王別記」のクライマックスとして描かれている。
 天下を統一した劉邦は政敵の抹殺を図り、韓信もその計略に落ち、殺される。 



  背景と見どころ
 華々しい覇権の争いの場面とは異なり、この映画では、項羽の自害の場面、劉邦の死の床での死に様を描いた、実に暗い場面が続く。しかし、この二人は同じような戦いを経てのし上がったといえ、二人の死に様は大きく異なる。

 項羽が敵に囲まれ打ち果てたといえ、愛妃をそばに最後まで置き、死を嘆じて其れなりに毅然として死んだのに比べ、劉邦は天下を取ったといえ、老醜をさらして死んだ様は、あまり美しいものではない。
 覇王として残忍で暴虐ではあったが、虞妃を最後まで愛しつくした男気のある項羽は京劇「覇王別記」の主役として後世語り継がれた。

 無頼の徒から身を起こし、不倶戴天の敵項羽を打ち破り、中国に漢王朝という強大な国家を作り上げた、人の心をつかむのに長けた武将・劉邦の対比は興味深い。

 この映画は、劉邦は既に死の床にあるものの、韓信抹殺に主導的役割を果たす呂皇后の陰湿な計略を描き出す。劉邦亡き後、呂皇后は、劉邦の側室を酷い方法で殺すことになるが、そのあまりに惨い殺し方に、息子は厭世的になり、その後政治に遠ざかる様になったいわれています。

 さらに彼女自身は後代の唐代の武則天、清代の西太后とともに、三大悪女として汚名を天下に知られることになりました。呂皇后の殺戮の発端はこの韓信の抹殺に始まるといえましょう。

漢王朝の歴史的役割
 漢王朝は劉邦が天下を統一して以降200年ほどで倒れ、「新」という国が立つが、それまでの間を前漢(紀元前206年 - 8年)という。

 新が倒れ劉氏の一族が漢を再建し、三国時代の魏に禅譲するまでの間200年ほどを後漢(25年 - 220年)という。

 この二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、この名前は中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。

 漢王朝の歴史的役割とは、この400年で、中国の国家としての基盤が確立したといっていい。この意義は非常に大きいといわねばならないだろう。


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