google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100

2018年4月4日水曜日

中国映画「項羽と劉邦 鴻門の会」:中国の天下を争った三人の武将の死に様を描く

項羽と劉邦

中国映画のDVD「項羽と劉邦 鴻門の会」を観ました。すばらしい映画です。
 「中国映画おすすめ100選への道」がこれはいいという中国の映画を探して、その時代の歴史的背景に注目して、映画の案内をお送りしています。
中国映画「項羽と劉邦 鴻門(こうもん)の会」:京劇でも有名な「覇王別記」のもう一つの舞台


映画の紹介
 中国の歴史の一大転換期と言われる春秋戦国時代にその名を轟かせた武将・項羽、劉邦、韓信らが、激闘を経てやがて覇王となっていく半生と生き様を描く。
 映画としては。「生き様」というより、両雄の「死に様」を対比させた映画である。私にとっては、項羽と虞妃の関係、劉邦と呂皇后との関係の対比が面白い。



映画データ
出演: ダニエル・ウー, リウ・イエ, チャン・チェン, チン・ラン
監督: ルー・チューアン
言語: 中国語 字幕: 日本語
販売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
発売日 2014/11/12
時間: 116 分


  ストーリー
 ストーリーの主眼は、中国ではじめて統一国家を成し遂げた秦朝が倒れた後の後処理におかれる。

 項羽は劉邦が自分より先に(秦の本拠地の関中 (陝西省) に入った者が王となる約束していた)関中に入ったとして劉邦を抹殺しようとした。その衝突を心配した劉邦の将軍の張良や項羽の叔父の項伯らが和睦をはかり,咸陽の入口の鴻門で両者を会合させた (BC 206) 。

  この会合で劉邦は項羽に忠誠を誓った。項羽は劉邦を殺そうとするも、何とか逃れる。劉邦は陣を立て直し項羽を攻め、項羽は虞妃とともに自害し果てる。(この場面は京劇での演目「覇王別記」のクライマックスとして描かれている。
 天下を統一した劉邦は政敵の抹殺を図り、韓信もその計略に落ち、殺される。 



  背景と見どころ
 華々しい覇権の争いの場面とは異なり、この映画では、項羽の自害の場面、劉邦の死の床での死に様を描いた、実に暗い場面が続く。しかし、この二人は同じような戦いを経てのし上がったといえ、二人の死に様は大きく異なる。

 項羽が敵に囲まれ打ち果てたといえ、愛妃をそばに最後まで置き、死を嘆じて其れなりに毅然として死んだのに比べ、劉邦は天下を取ったといえ、老醜をさらして死んだ様は、あまり美しいものではない。
 覇王として残忍で暴虐ではあったが、虞妃を最後まで愛しつくした男気のある項羽は京劇「覇王別記」の主役として後世語り継がれた。

 無頼の徒から身を起こし、不倶戴天の敵項羽を打ち破り、中国に漢王朝という強大な国家を作り上げた、人の心をつかむのに長けた武将・劉邦の対比は興味深い。

 この映画は、劉邦は既に死の床にあるものの、韓信抹殺に主導的役割を果たす呂皇后の陰湿な計略を描き出す。劉邦亡き後、呂皇后は、劉邦の側室を酷い方法で殺すことになるが、そのあまりに惨い殺し方に、息子は厭世的になり、その後政治に遠ざかる様になったいわれています。

 さらに彼女自身は後代の唐代の武則天、清代の西太后とともに、三大悪女として汚名を天下に知られることになりました。呂皇后の殺戮の発端はこの韓信の抹殺に始まるといえましょう。

漢王朝の歴史的役割
 漢王朝は劉邦が天下を統一して以降200年ほどで倒れ、「新」という国が立つが、それまでの間を前漢(紀元前206年 - 8年)という。

 新が倒れ劉氏の一族が漢を再建し、三国時代の魏に禅譲するまでの間200年ほどを後漢(25年 - 220年)という。

 この二つの王朝(両漢)を総称して「漢王朝」と呼ばれる。また、この名前は中国全土や中国の主要民族を指す名称ともなった。

 漢王朝の歴史的役割とは、この400年で、中国の国家としての基盤が確立したといっていい。この意義は非常に大きいといわねばならないだろう。


関連記事:中国映画「さらばわが愛 覇王別姫」に見る京劇の苦難は中国の歴史的苦難の時代

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2018年4月3日火曜日

中国映画「唐山大地震」:監督 フォン・シャオガン 大災害の前に人間は人間でいられるのか

中国映画のDVD「唐山大地震」を観ました。文句なしの感動です。


映画データ
出演: シュイ・ファン, チャン・チンチュー, リー・チェン, チェン・ダオミン
監督: フォン・シャオガン(馮小剛)
販売元: 松竹
発売日 2015/08/05
時間: 135 分

ストーリー

 1976年7月28日、文化大革命の嵐もようやく収まり、世の中が平穏を取り戻しつつある時に事件は起こる。

 唐山市を未曽有の大地震が襲った。突然、金魚鉢の魚が暴れて外に飛び出すような異変が起きるとすぐに、夜空が強く光ったと思うと、大音響と共に激震が走る。この世の全てのものを叩き潰すような激しい揺れ。

 倒壊する建物の中で夫を失った母は、狂乱のようになっている時、双子の姉弟が瓦礫の下にいるという知らせに現場に赴く。

 そして、同時にどちらか一人しか助けられないというあまりにむごい選択を迫られる。苦渋の中で「息子を・・・」と泣き崩れる母親。だが、その苦渋に満ちた声に瓦礫の下の姉は深い絶望と悲しみに涙を流していた。

 息子は腕を切断しながらも命をとりとめ、娘は死体置き場に放置される。

 時は流れ、母親は家族を失った喪失感と娘を見殺しにしてしまった罪悪感に苛まれながら、残された息子を女手ひとつで必死で育てていた。そして娘も奇跡的に命を取り留め、養父母の元で成長していた。

 そして、32年の歳月を経て、離れ離れの母子の運命が大きく動き出す。今度は四川省で大地震が勃発し、上海とカナダで全く別々にその実況に接した兄弟は、吸い寄せられるように、救援に四川省に向かう。


映画の見どころ
 この映画は自然現象に翻弄される人々、あまりにむごい決断をせざるを得なかった母親、見捨てられた娘、姉の代わりに助けられたという負い目を背負わされた弟、そして姉を引き取り実の娘のように育て上げた養父母、それぞれが抱える悩みや苦しみをじっくりと聴衆に訴えかける。

 自分の生き様に容赦なく自省を迫ってくる。「お前は、どうなんだ。お前の生き方はそれでいいのか」と。

 これらは、後付のたら話といわれるかも知れないが、それでもなお・・・。  

致命的な状態に陥ると陥らない状況の間にはそんなに大きな差はないと感じる。ほんの僅かな差が生死を分ける。「災害に見舞われたとき、最初の一撃を受けないように最大限の注意を払うようにするべきだ」ということが身に染みて感じさせられる。
 同時に人間は、究極の災難に見舞われたときに、わが身を忘れて助け合うものなのだということに確信が持てて、人間て捨てたものではないと思っている。
 命さえあれば、道は開けるものなのだと思う。

映画の背景
 この映画が撮られたのは冒頭にも触れたように、文化大革命が終息した後に作られている。もし、これが文化大革命中に起こっていたとしたら、どのような結果を引き起こすであろう。考えるとある意味ぞっとする話だ。どんなときにも人間がベースにないとだめだと改めて感じた。

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