google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100

2017年6月17日土曜日

スクリーンの裏から中国人の怨嗟が聞こえる「南京!南京!」好ききらいは別にして、一度はぜひ!

映画「南京!南京!」を見て

南京事件の背景
「三十万人」という数字を基軸に延々と続けられてきた論争。映画にせよ、何にせよ、「南京」を抜きにしてして中国を語ることはできない。という気持ちでこの映画を見た。
 何はさておき南京がどこにあるかだが、南京は上海の西約200Kmのところにある揚子江沿いの古い歴史のある街である。この映画の舞台となったときは、中国が2000年の絶対的な皇帝政治から抜け出したばかりの時代であった。

















 映画「南京!南京!」へのコメントを見ていると、この事件の時代的背景がきちんと把握されていないための誤解や中傷(或いは無視)が多く見受けられるので、映画そのものの感想に入る前に、南京事件の時代的背景少し考えて見たいと思う。

 辛亥革命~南京事件まで、中国の置かれた政治的状況や南京事件の経緯について、

詳しい説明は 【辛亥革命から南京事件】 ☜ をクリックしてください

 Webなどでコメントを見ると、「中国」というと何でもかんでも「共産党」という名前が頭に浮かぶ方が多いようですが、南京事件は当時実権を握っていた国民党政府の支配下にあった南京に対してなされた残虐行為であるわけで、これを中国共産党のプロパガンダであるがごとき論調があるのは歴史が見えていない証左ではなかろうか。政治的主張は主張として、歴史的な真正面に据えて検証されなければならないと感じる。

 南京事件で日本軍と対峙していた部隊の主力は蒋介石の国民政府軍 中国共産党の部隊や八路軍は国民政府軍の中に組み入れられた状態にあった。つまり、この時代の中国共産党の武装勢力はそれまでの国共内戦でかなり消耗していたわけで、南京事件のあたりでは、中国共産党として単独で日本軍に対置する体力は少なくともなかったと思われる。
 そして「南京事件」の起こった国民政府軍は、日本軍が南京を占領したために武漢、重慶に場所を移しながら、抵抗を続けることとなります。






映画「南京!南京!」に示された中国映画の新しい視点
 映画「南京!南京!」はこのように、防備してくれるはずの軍隊もなく、わずかな治安部隊だけで、南京を防衛し壊滅していく状態を、中国人からの目線ではなく、侵略占領した「日本軍」の目線を借りて描いたものです。
 南京という占領地の中で全体的な権力を持つ日本軍の指揮官にも焦点を当て、その人の持つ人間性をも炙り出した中国映画です。
 その意味で、今までの中国映画の「抗日映画」とは、一味違ったものになっています。
 そしてその視点は、中国映画が従来の路線だけでは、中国の大衆を満足させられなくなってきたということを表していると思います。その変化をあなたもぜひ感じてみてください。
 ここに描かれるのは、華々しい闘いの舞台ではなく、痛々しくも悲しすぎる絶望の中にある人々の勇気ある英雄的な行動の記録です。
 この映画は戦闘に焦点を当てるというより、南京という絶望的な状況の中で、むしろ個人に焦点を当てて、その人々がどのように困難に立ち向かっていったかを描いた貴重な作品だと思う。



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2017年6月12日月曜日

単純に娯楽映画「少林寺三十六房」あまり考えなくてもいい映画ですので、いい薬?

少林寺三十六房

映画の紹介
ラウ・カーリョン監督 × リュー・チャーフィーが贈る伝説の「少林寺」映画がお得な価格で登場! タランティーノが“カンフー映画史上最高の3本に入る"と評した傑作!
 この手の映画はあまり考えなくなくていいのがミソ。 だけどこのサイトでは、やはり少しは考えていただくことにしよう。



映画データ
出演: リュー・チャーフィー
監督: ラウ・カーリョン
言語: 中国語, 日本語


ストーリー
清の時代、父と友人を殺された青年リュー・ユウダが、武術の総本山・少林寺でサンダの僧名を授かり、三十五の修行房での特訓の果てに、得意の三筋棍で清の悪将軍に戦いを挑む。


背景と見どころ
 明から清に時代が変わるときは、漢民族の支配から女真族の支配を受け入れなければならないという漢民族にとっては、屈辱的、生理的な拒否反応が全国各地で見られたようだ。そのもっとも著名なものは、この映画にも出てくる鄭成功による反乱である。この話は近松門左衛門の「国姓爺合戦」で有名なのでご存知の方も多いだろう。
 又その他揚州の「史可法の抵抗」である。この抵抗戦は、近年になって揚州出身の主席江沢民がこの史可法を英雄として持ち上げたことによりクローズアップされたが、私はこの男は日本の明治維新の時の近藤勇と変わりはなく、何で彼が民族の英雄として評価されたのか理解に苦しむ。




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