google.com, pub-2132796719425109, DIRECT, f08c47fec0942fa0 心に残る中国映画セレクション100

2022年3月30日水曜日

番外編「ニコライとアレクサンドラ」・・繰り返されるロシアの歴史:プーチンとラスプーチン

番外編 映画:「ニコライとアレクサンドラ」
繰り返されるロシアの悲劇100年前の皇帝に代って独裁者の再来

今から約百年前まで、ロシアは皇帝ニコライが専制政治を敷いていました。そして今、プーチンによる独裁政治がひかれています。民族解放を標榜し、帝政を倒し国民が主人公てとなる民主主義のために闘ったロシアは今どこに行ったのでしょう。

原題:「The Royal Family」をご紹介します。
これは中国映画ではありませんが、今進行しているロシアのウクライナ侵攻を判断する材料として、この映画を取り上げてみたいと思います。
 2022年の現在ロシアのウクライナ侵攻が、 世界中の大きな非難を巻き起こしております。 しかしながらロシアのプーチンはこの非難に怯むことなくウクライナ屈服させようと大量殺戮の手段まで訴えています。

 この映画は、ちょうど100年前に、ロシアはロシア革命が勃発し、その時までにロシアを支配していた倒れ行く、ロマノフ王朝を舞台にしています。

 この映画の主人公はロシアの最後の皇帝ニコライとその妻のアレクサンドラです。実はこの映画の主人公はもう一人いるのです。それはラスプーチンという人です。この人は実在した人物ですが、すでに末期的症状を見せていた、王朝の中に巣食い、皇后アレクサンドラの寵愛を受け、ロシア革命の前夜にロシアの帝政の政治を大きく混乱させた人物です。

 ラスプーチンの暗躍のために、国内政治が滞っている状態は、100年後の現在プーチンの独裁のために国内の行政機能が麻痺している状況と似通っていると考えられます。

 したがって、ロシアの正常なる判断が失われ、ウクライナに一方的に侵略することになったと考えられますが、プーチンを突き動かしたものはなんだったろう。それはプーチンに聞いてみないとわからないと大概の人は言うでしょうが、しかし私はプーチンの個人的な動きあるいは考え方興味ありません。
 それよりもプーチンを取り巻く環境、ロシアの歴史及びロシアの経済的政治的地理的に置かれた環境などプーチンがどのように育てられたか知ることがもっと大事なことではないだろうか。

  個人が歴史の中で果たす役割は、歴史の一瞬一瞬では大きなものであるかもしれません。しかし歴史を大きな流れの中で捉えた場合に、個人の果たす役割はその一瞬に過ぎないわけで、偶然性の中に必然性が貫徹されているはずです。私たちがある事柄を見るときに、忘れてはならないのは「史的唯物論的に、科学的に」見るという態度に徹することだと思います。


映画の紹介
 この映画は、1972年アメリカで封切られたもののようです。アメリカの映画であるからには、当時のアメリカで支配的であった考え方からは払拭できていないと考えるべきでしょう。(もちろんそれを凌駕した真にに素晴らしい映画もあったでしょうが・・) それを頭に置いた上で評価しなければなりません。

映画データ
製作: Columbia Pictures
原題: Royal Family
邦題: ニコライとアレクサンドラ
監督: Franklin Schaffner
出演: Michael Jayston, Janet Suzman, Roderic Noble


ストーリー
 1904年。ロシア皇帝ニコライと皇后アレクサンドラとの間に、皇太子アレクセイが誕生した。しかし、アレクセイが血友病にかかっていることが分かり、怪僧ラスプーチンの不思議な力で危機が一時的に回避された。それを機にアレクサンドラは彼を寵愛するようになるが、ラスプーチンは次第に皇帝までをも操り出す。これが王室の悲劇の始まりとなり、ロシア帝国の未来に暗雲が立ち込める…。

 皇帝とはいえ、個人の判断を国家としての判断の上に置いた悲劇であるともいえよう。



背景と見どころ
 この映画は、皇帝ニコライが、ラスプーチンに篭絡された皇后に拘泥することにより、現実を見ることではなく、かつての力のあった王朝の栄光の復活の実を夢見て、次第に孤立し、問題を先送りし、ずるずると成り行きに引きずられていく過程をしっかりと見ることが肝要です。そのうえで、今日のロシアに視点を移してみると、この大ロシア帝政の時代のロシアの再来を夢見た権力者がかつてのソ連の時代の力による栄光の復活を夢見て、やはり現実を見ることなく、孤立していく様がダブって見えることである。


詳しい説明は 【ニコライとアレクサンドラ】 ☜ こちらをクリックしてください
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2022年3月24日木曜日

番外編:「博士の異常な愛情」の核戦争の予言が現実になる恐怖
    プーチンのウクライナ侵攻の狂気 

「博士の異常な愛情」に見る狂気が現実となる恐ろしさ!

この映画の現在的な意味
 今ウクライナで起こっていることは、前回は最初にこのページをアップした時に恐れた、「北朝鮮とアメリカを巡る核戦争が起こるかもしれない危機的な状況」よりもはるかに切迫し、かつこの危機が現実のものになるかもしれないという緊迫感の中にある。

 アメリカの情報機関の発表によるとこの4,5日がその正念場だという。いまロシアのプーチン大統領の妄想と暴走により引き起こされたウクライナ侵略はウクライナとロシアだけの問題ではなく、全世界を巻き込んだ世界戦争に発展する恐れを秘めている。

 ロシアの長年のアメリカに対する恨み、アメリカがベトナム、アルジェンチン、リビア、イラン、イラクで何をしてきたかが背景にあると思われるが、それにしても今度のロシアのウクライナ侵略はあまりに狂気じみている。この狂気と暴走がが何を招くかこの映画は予測していたともいえる。

  偶発的なことも重なり、核戦争までいってしまう恐ろしさを描いたイギリス映画をあえて紹介します。誰もが見るべきイギリス映画「博士の異常な愛情」をお贈りします。

 


映画の紹介
北朝鮮とアメリカの間に繰り広げられている核戦争になるかも知れない危機的状況。設定は異なるかもしれないが、核による支配を企む気違いじみた博士とその周りの人々が世界を核戦争に追い込んでいく。それを回避しようとする努力が一応為されるが、連絡も絶った一機の爆撃機が、あらゆる防御網をかいくぐって、一発の核爆弾を投下してしまう。

映画データ
出演:ピーター・セラーズ(マンドレイク/マフリー大統領/Dr.ストレンジラブ)
ジョージ・C・スコット(バック・タージドソン将軍)、スターリング・ヘイドン(ジャック・リッパー准将)、キーナン・ウィン(バット・グアノ大佐)、スリム・ピケンズ(キング・コング少佐)

監督:スタンリー・キューブリック


ストーリー
 アメリカのバープルソン空軍基地。その司令官ジャック・D・リッパー准将は部下のマンドレイク大佐に基地を警戒態勢に置くよう指示。その上で空を巡回中のB-52戦略爆撃機34機に「ソ連領域内に侵攻し、搭載した核ミサイルを発射しろ」という命令を下します。全面核戦争への秒読みが始まったのです。
 ペンタゴンの指令など出されていないことが明らかになり、リッパーの独断専行を止めようとします。
 一方、ペンタゴンでは緊急事態に対処するため、ソ連大使を呼びだして戦略室に入れ、その目の前で大統領はソ連の首相と電話で会談しますが、事情を知った首相は激怒。報復手段を取ると宣言。
 アメリカ政府は状況を打開するため、リッパーから通信用の暗号を聞き出そうとリッパーの部屋を攻撃。基地の兵士らとの交戦があった後、リッパー准将は自殺。
 やがて暗号は解読され、ほとんどの爆撃機は引き返すが、1機だけは機器の故障でそのまま目的地に向かって侵攻する。爆撃機は核爆弾を投下。核は爆発。報復装置が起動されるため、まもなく人類は死に絶えるはず。
 しかし、大統領の科学顧問であるストレンジラヴ博士は、地下深い空間で僅かな優秀な人間だけでも生き残れば、まだ希望はあると熱心に説く。殆どの人間が死に絶えても・・。




背景と見どころ
 この映画は1964年にイギリスで作られている。  この映画は、司令官ジャック・D・リッパー准将と大統領の科学顧問であるストレンジラヴ博士の二人の人物を中心に話は展開する。
 司令官ジャック・D・リッパー准将は部下のマンドレイク大佐に基地を警戒態勢に置くよう指示することから始まる。

 ロシアのウクライナへの侵攻 はロシアのプーチン大統領単独の判断と言われているが、 この映画のジャックリッパー准将とストレンジラブ博士のふたりが、ロシアのプーチンの中で合体かされ、具現化されていると考えれば 、ロシアのウクライナ侵攻の舞台と背景を読み解きやすいのではなかろうか。

 もちろん映画はあくまでもフィクションであり現実に起こっているロシアのウクライナ侵攻はリアルな世界である。全く違う世界にもかかわらず、映画と現実の世界の中に共通性を見ないわけにはいかない。
  一つはロシアのプーチン大統領が、ストレンジラブ博士と同様に 狂気と妄想に支配されているのではないかということである。
 さらにもう一つはロシアのプーチンがロシアという国の最高権力者であり、すべて一人で動かせる位置にあることは映画の中のジャックリッパー准将と 同様であると考える。

  今回の事件が国家という大きな舞台の中で起こった問題ではあるが、 結局は独裁と言う仕組みの中でロシアのプーチン個人の妄想と狂気 に帰着する問題であるからだ。
  どんなに整備され民主的な国家であるにせよ最終的には ほんの一人あるいは一握りの人間の行動をいかに規制しし管理するかという問題になってしまう。

 その仕組みや権力が大きければ大きいほど、その権力を縛り民主的に管理できるかには大きなジレンマが伴う。




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